« 1年半ぶり | トップページ | ブルーライトによる眼精疲労・肌の老化 »

2012年3月26日 (月)

彼岸花、削り花、掻き花、イナウ、削りかけ、

すでに彼岸3月17日~3月23日)は過ぎましたが、その春彼岸に供える「彼岸花ひがんばな)」の雑学話です。

Photo
福島県のわが地域で、春の彼岸といったらフォトの様な木製の「彼岸花」を準備して墓参に行くのが常識です。

県内では春彼岸が近づくとどのスーパー(大手も)や食料品店、雑貨店など、そして花屋でもこの「彼岸花」は店頭に並べられ売られますし、大工さんやちょっと器用な人などが作って個人販売をしたりすることは、昔から行われています。

ですから、つい最近まで「全国共通なんだろう」と、私は勘違いしていたくらいです

基本形状は、コシアブラなどの柔らかい木を細くらせん状に削った物(フォト上)と、杉等を鉋で薄く削った物(フォト下)の二つで、竹に差し込んだものす。
昔はそれだけだったんですが、最近はフォトのように葉っぱが付いたり、チューリップ型があったり、花が2~3個とついていたりと、バリエーションが多くなりました。

福島県と同じような慣習が有るので確認できたのは「宮城県、山形県、秋田県、岩手県・・・」と、だいたい春に花が無い地域の東北では共通する慣習のようですが、他県では減りつつあるようで、福島県が最も盛んのようです。

さてそのルーツはというと明治維新ごろになるようです。

明治10年ごろに、旧伊達藩の御殿医をだった「小野木多利治氏」という方が居たのですが、廃藩置県によって藩は無くなり仙台県(現在の宮城県)になったため報酬が無くなり、やむなく収入を得るため考え出したのがフォトの物だったようです。

これは「削り花(けずりばな」と言う名称で当初は「赤い色は墓にはふさわしくない」ということで、まだ色は無く白木のままだったそうで、同じ地内にあった今現在も営業している花屋の「高橋生花舗」一件だけで細々と販売されだしたそうです。

ところが、お寺の一つが「赤い色もよろしい」となりカラフルな色が可能となって明治30年代に入ると爆発的に流行していったそうです。
そして今福島県でもそれが継承されているというわけです。

発祥が宮城県ですから、その隣接する県に同じ慣習が有るのは当然だったのですね。

実はこの「削り花」というのは、もっと昔からあったもので宮中の神事に供えられたり、庶民は御幣代わりに使用していたのだそうです。
名称は「削り花」とか「削りかけ」というもので右のフォトのようなものが最初の形状だったようです。

Img_1496Img_1495現代と同じようなものはミズキやニワトコの枝に付けて飾ったり、繭状に編んで「繭玉」として飾ったようです。

いずれも庶民の場合は「小正月」の行事に飾っていたようです。

新潟県長岡の民俗資料には元旦にも使われていた記録が有ります

Img_1494今のお正月飾りの紙で折った御幣ではなく、以前はフォトのようにして玄関に飾ったようです。

いずれも材料と作り方は同じで、小さくして花状にし色を付けたのがわれわれの彼岸花になっていきます。

偶然なのか?どちらかが真似をしたのか?

アイヌの人々が神事に使っていた「イナウ」というものが、フォトの「穂垂れ」や神社仏閣で使われる「梵天」と、全く形状も作り方も材料まで同じなのです

京の都にある宮中の神具と、アイヌ民族の神具が同じだなんて不思議ですよね。

ともあれ、色とりどりの彼岸花は花の無い東北の春彼岸にはとてもマッチしたものですね。

これが無かった以前、東北ではネコヤナギを墓前に飾っていたようです。

つい最近まで二本松市の原セ地区では、ネコヤナギが飾れていました。
わが村には無かったので私には不思議な光景でしたが、ネコヤナギの方が古い歴史があったことには驚きました。

 

 

|

« 1年半ぶり | トップページ | ブルーライトによる眼精疲労・肌の老化 »

コメント

カミングアウトバラエティ・ケンミンSHOWに応募した方が、いいんでないかい。

投稿: もうぞう | 2012年3月26日 (月) 18:05

もうぞうさんへ

そうかもしれませんね

投稿: 玉井人ひろた | 2012年3月26日 (月) 18:43

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 彼岸花、削り花、掻き花、イナウ、削りかけ、:

« 1年半ぶり | トップページ | ブルーライトによる眼精疲労・肌の老化 »