« スッポンの道具 | トップページ | 安保法に対する福島県の対応は・・ »

2015年7月 8日

マチュピチュ村の初代村長さん⇒『野内与吉』

現在、我が村で最も話題の人物といったら「野内 与吉(のうち よきち)」という人物です。

TBSテレビの番組で夜9時から放送の「日立 ふしぎ発見!」というクイズ形式で世界を紹介する番組が有りますが、その番組の2015年4月9日の『第1352回』放送、

マチュピチュに村を創った日本人
  野内与吉とはどんな人物?
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/bknm/20150418/p_2.html

その番組内容は↑というものでした。視た方もかなりいると思いますが、 どうでしょうか?

世界遺産としてあまりにも有名なペルーの「マチュピチュ遺跡」、その遺跡の有る麓の村で初代村長となった人物こそが「野内与吉氏」なのです(後日談、記録上は初代村長では無く、2代目であり、初めてマチュピチュ村が村として正式に認められるまで、与吉氏はそこを管理する行政官を務めていた)。

その野内与吉氏が若いころ大陸に移住した我が村の人物なのでした。番組では、村の生家でのインタビューも放送されました。

この番組は村では録画、希望者には視聴できるようにしています。役場でも「野内与吉氏」に関しては特別扱いになっていて、代表者がなんどか現地へも訪問しています。

少し、「野内与吉氏」の足取りを記しましょう。

  • 明治28年(1895)に福島県安達郡の旧玉井村(たまのいむら⇒現在の大玉村玉井(おおたまむらたまのい)地区)で生まれた
  • 村では裕福な農家の出身でありながら、ゴム景気に沸いていた南米で事業を成功させたいと夢を抱いて、21歳の時日本を旅立った。(マチュピチュが発見された4年後の大正4年ごろのこと)
  • 同氏はアメリカ、ブラジルを経由してペルーへ渡り、そこで9年間ほど材木商として技術と知識を身につける
  • そこで、当時高級な原木がいくつも生い茂っていマチュピチュ周辺のジャングルに目をつけ、最終的にマチュピチュに辿り着いたのは大正12年(1923)のことだった

それは、アメリカの探検家ハイラム・ビンガム氏よってマチュピチュが紹介された明治44年(1911)から数えて12年後のことでした。

そして、歳月は流れ、太平洋戦争も過ぎ・・・

  • 昭和33年(1958)に三笠宮殿下がペルーを訪れ、マチュピチュ遺跡を見学した際に、野内与吉氏の長女オルガ野内氏が三笠宮殿下に花束を贈呈したことが、新聞などで報道される。(昭和34年、皇太子明仁親王と美智子さまが結婚
  • 日本にいる実家の家族がその新聞記事を目にし、家を出てから何十年も消息不明なので「死んだのだろう」と思っていた「野内与吉氏」が生きていたことを知ることになる。
  • 家族や親族らは日本大使館を通じて与吉と連絡をとり、与吉氏の帰郷のための旅費を集め呼び寄せることになる。
  • そして消息が判明してから10年後の昭和43年(1968)、与吉氏は故郷である福島県大玉村に52年ぶりに帰郷することができたのである。

18951969写真は、昭和43年(1968)半世紀以上ぶりに故郷に帰省したときのものですが、その時に、日本で迎えに出た甥らに最初に言った言葉が

「(村には)電気がついたか?」

だったそうです。

同氏が日本を発ったころの村にはまだほとんど電気が無かったからです(付いたのは昭和30年ごろ)

野内与吉氏はその帰郷で安心したのでしょうか?翌年の昭和44年にペルーで永眠されました。

ただ、このころというより「ふしぎ発見」を視るまで、与吉氏がどれだけすごい人物だったか知らなかったのです。

村長になったことは帰郷した際に言っていたので知っていましたが、当人曰く「村に水を引いてやったら村長になってしまった」と冗談のように語っていましたので、誰も偉業を知らなかったのです。

現在日本国内では16歳で来日し働きながら高校、大学を出て、旅行会社に勤務しながら、名古屋国際センターの「世界を語ろうマイスター」にも任命され、日本文化やペルーについて紹介する活動を行っている、与吉氏の孫にあたる野内シーザー良郎さんがその偉業を伝える仕事も行っているそうです。

詳しい偉業は↓の東大サイトをご覧ください
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/web_museum/ouroboros/v19n3/v19n3_nouchi.html

戦争中、日本人の強制収容が有りましたが、野内与吉氏はマチュピチュの村人によって守られ、収容されることは無かったそうです。

日本人が最も訪れたい旅行先として、一番に挙げられる人気観光地、15世紀インカ帝国の遺跡として知られるペルー・マチュピチュ、そこへ行った観光客がなんでもなく明るく照らす電灯の下を歩き、ホテルに泊まったり、飲食したりできるのは野内与吉氏の功績によるものであること、これは福島県や我が村民だけではなく、日本の誇りでしょう。

|

« スッポンの道具 | トップページ | 安保法に対する福島県の対応は・・ »

コメント

郷土の誇りですね。
地元ではどうか分かりませんが、世間一般には知名度は低いかと。
この番組は見ていませんが、地元のみなさんは見ていてうれしかったことと想像できますね。

投稿: もうぞう | 2015年7月 9日 05:24

ほーんと、私もあちこち旅したけど
南アメリカはまだ一度も行ったことないし、
とりわけマチュピチュは魅力的です

そのふもとの村が大玉村出身の人によって
開発されていった、なんてことを聞いたら
ますます行きたくなります。
移住して、辛酸をなめた人も多かったことを
多く聞きますが、彼はもともと自分のもてる
力を新天地で生かそう、という
フロンティア精神みみちていたから、
労苦をものともせず、成功できたのでしょうか。

投稿: あね | 2015年7月 9日 08:29

もうぞうさんへpencil

この話をすると、知らなかった人は「この村の人?!」と驚きます。それがなんともうれしい


あねさんへpencil

長男以外は冷遇された時代に生まれ育った与吉さん、「一旗揚げよう」の志だったと聞いています。

投稿: 玉井人ひろた | 2015年7月 9日 09:12

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/46632/61858388

この記事へのトラックバック一覧です: マチュピチュ村の初代村長さん⇒『野内与吉』:

« スッポンの道具 | トップページ | 安保法に対する福島県の対応は・・ »