« 1月・ 2月・10月 | トップページ | 災害に対するデジタル機器の信頼性 »

2015年10月27日

マチュピチュと大玉村、高山市

ついに、ついに日本時間のきょう‘10月27日午前3時’(現地では26日)にわが大玉村(福島県安達郡大玉村)とマチュピチュ村(ペルー国のウルバンバ郡ウルバン村)との友好都市協定の締結が正式に成りました。場所は世界遺産であるマチュピチュ遺跡で、押山利一大玉村長は紋付き袴姿、ダビ・ガヨソ・ガルシア マチュピチュ村長はインカの衣装、というお互いに伝統の正装で行われました。

今朝は、村の広報無線放送でこのことが一報として村内に響き渡りました。

同行したNHKテレビによる放送も流れ、村民としてはとても誇りであり、未だかつてない大きなニュースとなりました。

今回の締結には、マチュピチュ初代村長を務めたのが大玉村出身の移民・故野内与吉氏だったことが最大の縁ですが、今回の村の訪問団の案内役も務めた与吉氏の孫の野内・セサル・良郎さん(39)による祖父の足跡を追う活動によるものがとても大きかったと思います。

友好都市協定締結式を前に訪問団は野内与吉氏の墓があるクスコ市の隣村ポロイを訪れ墓参をしました。
これは高山にあるマチュピチュ村のため、大玉村の訪問団が高山病になるのを防ぐ意味もあったようです。

その墓前で野内・セサル・良郎さん(39)は「両村の交流は祖父にとっても夢だったと思う。自分が実現に関われたことが本当にうれしい」と目に涙をにじませていたそうです。

ところでこのウルバン郡(ウンベルト・ワマン郡長)はマチュピチュ村を含む7村からなるのですが、郡としては(2013年、マチュピチュ遺跡で調印式岐阜県高山市と友好都市協定を結んでいるだそうです。
ワマン郡長から高山市との交流について説明を受けた押山大玉村長は「この縁をきっかけに、高山市とも連携して交流を進められれば」と話したそうで、もしかするとわが村は高山市とも姉妹都市のような協定を結ぶ可能性まで出てきました。
(※、高山市は、デンバー市(米国)、麗江市(中国)、シビウ(ルーマニア)、ペルーのウルバンバ郡の4つと友好都市締結を行っている

これからどうなるのか?ちょっと想像がつかなくなってきました。

 

1
大玉村の訪問団約35人がマチュピチュ駅に着くと、現地住民たちが「マチュピチュ村へようこそ」と書いた大型の横断幕を掲げ、地元の子どもたちの演奏、地元警察が警護に当たるなどの「異例」の対応で駅は一時騒然、他の国から訪れていた観光客も集まり、一行に多くの拍手が送られたそうです。

25日夜は、マチュピチュ村が主催する晩餐会、訪問団は帰村したら旅の疲れがドッと出るのでしょうが、それより歴史的な場所に居られた感激と感動が上回るでしょう。

|

« 1月・ 2月・10月 | トップページ | 災害に対するデジタル機器の信頼性 »

コメント

村の先輩達も切望していたことが実現して嬉しいですよね独自のやり方で村を生かして来た先人達も喜んでいることでしょう
おめでとうございます

ところで、以前にヒオウギのことをお訊きしましたけど、お陰様で今年は大分ぬばたまと言う種が採れたので、皆さんに送りたいと思いますが種まきはどの時期が適当ですか?

投稿: | 2015年10月27日 20:16

空さんへ

種ですか?我が家では、勝手に落ちて増えているので、正式なのは解りません。
春が薪時でしょうが、庭なら今でもいいんじゃないでしょうか?

投稿: 玉井人ひろた | 2015年10月27日 20:38

今晩は♪
私も今朝のニュースで見ましたよ。
以前にブログ拝読していたので
興味深く、合点wしました。
久しぶりに良いお話でした。

投稿: マコ | 2015年10月27日 21:00

マコさんへ

夕方からは、もっと長い放送が有りましたが、ローカルのNHK局だけだったのかもしれませんね

投稿: 玉井人ひろた | 2015年10月27日 21:53

インカ原住民は先祖がモンゴリアンだそうですが遠くて近い間柄の両都市ですね。

投稿: ましま | 2015年10月28日 19:16

どこの局か覚えていませんが、全国ニュースで流れていました。
見ましたyo!

投稿: もうぞう | 2015年10月28日 19:26

ましまさんへ

インカと日本の弥生人の宗教観には共通点が多いことが、今秘かな話題なんだそうですね


もうぞうさんへ

そうでしたか。それは喜ばしいことです

投稿: 玉井人ひろた | 2015年10月28日 20:29

マチュピチュ、行きましたよお。私がいったのは、さ・あ・あ・・・20年以上も前??相棒は3年ほど前に行きまして随分観光化されて汽車もきれいになって、コーヒーまで飲めるという話でしたけど、わたしがいったときは、観光客と現地の人の車両は別でしたが、どちらもものすごい混みようで腹痛も起こしていまして、とてもつらかったのを覚えています。ウルバンバ川を下に見て走るんですけど、アンデスはあまり見えませんでした。ともかく貧しさに圧倒されて帰国しました。

投稿: 山口ももり | 2015年10月29日 08:42

山口ももりさんへ

交通機関を利用してもかなりの道のりと聞きます。与吉氏が行った戦前は想像を絶するものだったのでしょうね

投稿: 玉井人ひろた | 2015年10月29日 10:59

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: マチュピチュと大玉村、高山市:

« 1月・ 2月・10月 | トップページ | 災害に対するデジタル機器の信頼性 »