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2015年12月 7日 (月)

日本人と牛肉・豚肉

日本人が牛肉を食べ出したのはいつ?と聞かれれば、江戸幕府が大政奉還をして明治時代になり、東京で「牛鍋や」が大流行したころからだろうというのが一般的でしょう。

ところが、江戸時代はもとより日本人はもっと昔から牛肉を食べていたのです。

仏教伝来以来、日本では肉食を忌避する考えや慣習が出来上がったのですが、それはあくまで表向きのことで、肉食を「薬喰い」と呼んだり、猪肉を山鯨(やまくじら)や鹿肉を紅葉(もみじ)などと称して、肉食の習慣はちゃんと存在していました。

江戸の町では両国広小路、麹町にあった店が有名なんだそうですが、、「ももんじ屋(ももんじや)」または「ももんじい屋」と称せられた、肉を売ったり食べさせたりする店が複数存在したそうです。(ただし、内臓などの異臭もする店であり、嫌う人も多かった

この店では、江戸時代の江戸近郊農村において農民・猟師が捕獲した鹿、などが扱われていたようですから、今の肉店より扱った肉は多種多様のお店だったようです。

つまり、牛肉は江戸時代にもちゃんと食べられていたのです。

「生類憐みの令」を出したことで有名な徳川綱吉が将軍の時代の出来事といえば「忠臣蔵」がありますが、その中心人物となったことで有名な『大石内蔵助』は、『堀部安兵衛(正式名は「堀部 武庸」)』の義父・『堀部弥兵衛』に「大変滋養があるので」と牛肉を贈っている記録があります。

さらに

現代でも「近江牛」の産地としても名高い滋賀県がまだ‘近江の国’といった頃、そこを彦根藩として治めていた藩主の井伊家(慶長11年(1606年)に彦根城に入城た外様大名)では、毎年将軍家をはじめとする有力大名に「牛肉のみそ漬け」を贈ることを慣例としていた歴史があります。

つまり、徳川綱吉も牛肉の味噌漬けを食べていたことになるのです。

豚肉に関しては、日本には居なかった家畜ですが、『徳川家康』が(形式的に)隠居し、『徳川秀忠』が2代将軍(慶長10年に就任)となっていた慶長14年(1609)、初代薩摩藩主『島津 忠恒( ただつね /家久)と藩の家老の『 樺山久高』らの軍勢3000名余りを乗せた薩摩藩軍船100隻が将軍の許可を得て琉球国を侵略し日本国としてから、琉球では飼われ食べられることが常識だった豚肉も九州なのでも食べられるようになったようです。

その豚肉を食べる習慣は幕末になっては珍しくなくなっていたらしく、京の都に暮らしていた史上最後の将軍の15代将軍・「徳川慶喜」は豚肉が大好物な人物で、あまりにも好きなので「豚将軍」「豚一殿」と陰口をささやかれたと言われたようです。

そして、あの新撰組にいたっては、豚肉を常食していたどころか、隊の駐屯地で豚を飼っていたらしく、京の町の人々からは豚臭いなどで嫌われていたそうです。

私たちが知っている歴史は、ほとんど芝居の中で作り上げられたようなもので、実際はかなり今と同じだったようですね。

もう一つ、仏教での肉食ですが、
お釈迦様は肉を食べることを禁じていなかったことも、日本ではあまり知られていませんね。

肉食を禁じられたのは、仏教が中国に渡ってから出来上がったことで、それが日本に伝わったものですので、現在の僧侶の食生活が僧侶らしくないというのも、当てはまらないことになりますが、そこまで言っちゃうと・・・まずいかな?

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コメント

へ~
びっくりぽんだすな~

投稿: もうぞう | 2015年12月 8日 (火) 07:26

もうぞうさんへ

歴史の誤解って多過ぎる気がします

投稿: 玉井人ひろた | 2015年12月 8日 (火) 18:49

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