« やはり話題となってしまった 名前ミス | トップページ | 梅は‘もう’咲いたか »

2016年1月 4日 (月)

二礼‘2拍’一礼 と GHQ

初詣は殆どの方が三が日に終えると思いますが、毎回のように参拝の仕方に迷いをもつ人は少なくないと思います。

特に、社殿前に立った時の拝礼の仕方というのは迷う場合が多いのではないでしょうか

これは、正しい作法を知らないか、知っていても自信が無い場合がほとんどでしょうが、さらに神社によってもやり方が違ったりする場合が有るのも一因だと思います。

神社本庁のホームページでは、そのやり方を次のように掲載しています。

  1. 社殿前で、まず一揖(いちゆう会釈)をする。
  2. 賽銭箱に、賽銭をソッと入れる
  3. 鈴、鰐口が有る所では、それを軽く鳴らす。
  4. 深いお辞儀(最敬礼)を回する
  5. 拍手(かしわで)を回打つ(※)
  6. 深いお辞儀(最敬礼)を回する
  7. そのまま少し後ろに下がって一揖(いちゆう)し終了

よく、「二礼二拍一礼」または「二拝二拍手一拝」と言い表されるものですね。

このやり方をすれば、どこの神社でもOKということになるこの作法は、いわば拝礼の“共通語”みたいなものでしょうかね。

ただし、神社によっては独自のやり方を厳格に継承しているところが、存在します。その中でも最も違いが有る所は‘拍手の回数’でしょう。

神社庁で言っているやり方は「短拍手・短手(みじかて)」というものらしく、拍手の回数が3回以下のものになります。

それより多い、4回以上のところは「長拍手・長手(ながて)」と呼ばれるんだそうです。

<主な長拍手の神社と回数>

回】の神社

  • 出雲大社
  • 熊野神社・大社
  • 宇佐八幡・宇佐神宮
  • 弥彦神社

回】の神社

  • 伊勢の「神宮」(「伊勢神宮」は通称)
    正確には四拍手を二度繰り返す「八度拝八開手」というやりかたとなる
  • 出雲大社
    但し、8回打つのは年に1度の例祭(勅祭)の時のみとなる

この他にも8回拍手を打った後に再度短拍手を1回打つやりかたもあるようですが、上記の神社では、しっかりそのやり方を守りたい気がしますね。

ところが・・・・今回、「二礼二拍一礼」について驚きの事実を知ったのです。

先に記載した神社庁が発表している拍手の回数の「二拍手」というのは、太平洋戦争の終戦後に、GHQの占領政策の中で国家神道否定(宗教色払拭)の処置として組織された神社庁が考え出した苦肉の策によって定められた‘新しい作法’なんだそうです。

実は、戦前までの参拝での拍手の回数は定まってはおらず、願などの重さや個人の考え方で3回~11回・・・等々とすごい回数のもあったそうなのです。

なんだかなぁ・・・ですよね。

これからは、拍手を3回以上打っている人を見かけても「間違っている」などと気にならなくなった気がします。

|

« やはり話題となってしまった 名前ミス | トップページ | 梅は‘もう’咲いたか »

コメント

こんばんわ。
「4日遅れ」ですが、明けましておめでとうございます。
今年も、こちらのブログへお邪魔させて頂きますので、宜しくお願い致します。<(_ _)>
・「文章」を読んで。
自分の場合は、「2礼2拍1礼」です。
母も、そうでした。

投稿: H.K | 2016年1月 4日 (月) 21:35

H.Kさんへ

それが、一般的で異議を唱える人はいないと思います。
今年もよろしくお願いします

投稿: 玉井人ひろた | 2016年1月 5日 (火) 08:42

拝見して、ヘェーッ?!、と思いました。GHQですか。私はこれからも戦前流(好き勝手)で通します。

投稿: ましま | 2016年1月 5日 (火) 09:03

ましまさんへ

戦争に利用された宗教色を名目上で払しょくするという、政府やお役人の苦肉の策のようです

投稿: 玉井人ひろた | 2016年1月 5日 (火) 11:50

弥彦神社は、4拍手。
よく調べておいでですね。

さて、これとは違うのですが、お通夜などでの焼香の回数が面倒です。
私は最近は特に指定がないときは、2回にしていますが。。

投稿: もうぞう | 2016年1月 5日 (火) 20:05

もうぞうさんへ

焼香の時の、抹香をやる回数のことでしょうが、それは宗派で違いますね。
我が家は天台宗なので、1回~2回になっていまして、どちらでも良いようです

投稿: 玉井人ひろた | 2016年1月 5日 (火) 21:15

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 二礼‘2拍’一礼 と GHQ:

« やはり話題となってしまった 名前ミス | トップページ | 梅は‘もう’咲いたか »