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2018年8月 1日

蝦夷(えみし)と徳一(とくいつ)

今から1200年ほど前の平安時代、中華思想に傾倒した桓武天皇は、天皇の支配する”中華”以外の周辺には文化の遅れた民族=野蛮人ばかりだと決めつけ、それらを教え導くという考えが取り入れられ、逆らう者は‘悪’として征伐(惨殺)を繰り返し、追い払った土地には京の住民を移住させる政策を強行していました。

つまり、侵略です。

その中でも、最も抵抗が激しかったのは現在の中部・関東・東北と言うとても広い範囲で狩猟で生活していた民族です。

桓武天皇はその狩猟民族を「弓を持った野蛮人」という意味の「蝦夷(えみし)」という蔑称で呼び、最後には坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し侵略を成功します。

その時に最後まで戦いの中心になったのは蝦夷の英雄「阿弖流為(あてるい)」と言う人物で、最後には捉えられ「悪王」と呼ばれ一緒に捉えられた副審で親友の「母礼(もれ)」ともに京の都(現在の奈良)晒され公開処刑になります。

記録によれば、坂上田村麻呂は敵である阿弖流為の人物・人柄に敬意を抱き処刑中止を嘆願したそうですが、それは田村麻呂を美化するために後世に付け加えられた話かもしれません。

さて、この桓武天皇の東国侵略に賛同しなかった人物がもう一人います。

それは、そのころの仏教界の重鎮であり、堕落した奈良仏教界に見切りをつけ布教活動拠点を東国に移していた法相宗(ほっそうしゅう)高僧の「徳一上人(とくいつしょうにん)」という僧侶です。

法相宗は知らない人も多いでしょうが、三蔵法師(玄奘三蔵)がその宗派で、会津の有名な「あかべこ」は、この徳一上人の伝説の一つです。

徳一上人は、この時代「最澄」、「空海」と並ぶ三大高僧の1人で現在の会津の磐梯町に慧日寺(えにちじ)を建立し、茨城や新潟などまでその勢力は東国最大にまで発展させた人物ですが、後継者に恵まれなかったことや同時代の新興勢力の最澄(天台宗)や空海(真言宗)に取って代わられ、最後には伊達政宗によって寺院の全てが焼き払われてしまいました。

徳一上人が建立した寺院は、現在すべて真言宗のお寺になっています。

我が村にも徳一上人が建立した相応寺がありますが、現在は真義真言宗となり、真言宗の本尊は大日如来のため、薬師如来は別の御堂になっていますが、村の文化財になっています。そして、ゆかりの三体地蔵尊も有ります。

その慧日寺跡は現在国指定史跡になり金堂が再建され、そして7月30日に法相宗の本尊である薬師如来坐像(やくしにょらい ざぞう)の完成披露式典が行われました。

式典には法相宗大本山興福寺の多川俊映貫首(かんす)が招かれ、「祈る人の思いが像に乗ることで仏になっていく」と説いたようです。

復興された慧日寺、いつの日か行ってみたいですね。

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コメント

阿弖流為伝説は広くドラマや小説にもなっているので、
知っていました。
徳一上人というえらい坊様の話は知りません。
それぞれの地・時代に英雄と呼ばれたり、賢者と
いう人たちはいるものですね。
そんな歴史を私たちはきちんと受けついで
いるでしょうか。

投稿: へこきあねさ | 2018年8月 1日 20:33

へこきあねささんへpencil

阿弖流為の事、徳一上人の事、もっと知ってもらいたいです

投稿: 玉井人ひろた | 2018年8月 1日 20:37

私は知りませんでした。
なんでも興味をお持ちですね。結果?知識も広まるのでしょうけど。

投稿: もうぞう | 2018年8月 2日 07:24

もうぞうさんへpencil

これはNHK時代劇で大沢たかお主演「阿弖流為伝」を見てから知りました

投稿: 玉井人ひろた | 2018年8月 2日 08:29

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