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2018年11月 7日

台湾の大恩人を探しています・・

昨日の地元紙の朝刊に大きな見出しで↓のような記事が掲載されていました

明治時代から昭和時代初期にかけ、台湾の離島で‘へき地医療に尽力’した会津人がいた。

台湾の関係者の話や資料によると、会津若松市出身で軍医として島に渡った‘故佐藤 乾(さとう かん)さん’で、昭和15年(1940)に亡くなるまでの36年間にわたり医師として島民に寄り添い続けた。

佐藤さんの功績をたたえるとともに感謝の気持ちを伝えようと、台湾出身の有志が日本に帰国した佐藤さんの遺族を探している。

  ・・・(記事をそのまま引用)・・・

というものでした。同じ会津の野口英世博士以外にもこんなすごい医師が会津人に居たことに驚くと共に、感心して記事を熟読してしまいました。

記事によりますと、遺族を探しているのは台湾の『澎湖諸島(ほうこしょとう・ポンフーしょとう』出身で日本台湾平和基金会副理事長の許 光輝さん(52=沖縄県在住)らのようです。

そして、その許さんや台湾に残る資料によると

佐藤さんが医療に従事したのは台湾本島の南西、つまり中国と台湾の間にある澎湖諸島の一つの『望安島(ぼうあんとう』。

佐藤さんは文久元年(1861)生まれ。県内や東京の病院で内科、外科、歯科を学んだ医師で、台湾が日本統治時代の明治37年(1904)に日本帝国海軍の軍艦で望安島に渡り、さらに家族も移住し井戸などを掘って島民の飲み水を確保したりと島民と共に暮らし、さらに周辺の島々までの約3万人もの島民の診療に当たったというのです。

晩年は足腰が弱って歩けなくなると人力車に乗り、手伝いの人に押されながらも集落を回り献身的に診療する姿に島民は心を打たれたという逸話が残っているそうです。

ただ、その生活は台風の通り道でもあり厳しかったようで長男を若くして(30代)亡くしたり、妻にも先立たれながら医療活動を行っていたようです。
それを裏付けるように、佐藤医師の後任の医師たちはだれも長く居続ける者は居なかったそうです。

島には「福島縣士族公醫佐藤乾 長男晋行年三十八」の文字が刻まれた長男の墓と奥様の墓は確認されているようですが、ご当人の墓は不明だそうです。

佐藤さんの遺族で孫の『佐藤 守さん』ら一家は太平洋戦争後に、日本に戻ったそうですが帰国後の足跡は全く残っておらず、所在は不明だそうです。

許さんは「台湾でへき地医療に身をささげた佐藤先生の遺族に感謝の気持ちを伝えたい。遺族がいれば連絡してほしい」と話しているそうです。

この許さんらの思いに福島県民として少しでも役に立つかと思いここに記事にしてみました。

<連絡先=許さんのメール kyomituteru@hotmail.co.jp』>

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コメント

またまた福島の偉人ですか?
すごいな~
新潟だって、少しはいるハズなんですが、さっぱり話題にもなりませんね。

投稿: もうぞう | 2018年11月 8日 18:58

もうぞうさんへpencil

地元紙の福島民報が、福島の偉人特集を長くやっているんです。

投稿: 玉井人ひろた | 2018年11月 8日 21:10

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