カテゴリー「歴史」の113件の記事

2019年5月 5日

5月5日 節分

本日は‘土用’が終わる日、つまり明日が立夏と言うことで「 節分 」です。

でも、ちょっと昔の事件をみてみたら、第二次大戦の終戦が迫る昭和20年(1945)の日、アメリカ西に位置し太平洋側の・オレゴン州では日本がアメリカ本土攻撃のために飛ばした風船爆弾の不発弾が爆発し、アメリカ人6人が爆死するということが起きていました。

なんとその6名の犠牲者は、太平洋戦争においてアメリカ本土内での唯一の死者だったとか言われます。

同じころ、日本ではアメリカ陸軍の爆撃機による空爆などによって国内では80万人とも言われる民間人死者が出始めていました。そのとき私の母は15歳、父は19歳(召集令状が来る少し前)の多感な青年期でした。

戦争のによる犠牲者は数で比較してはいけないことですが、なんだか割に合わない人数であるとしか感じられませんし、政治家や国を左右する立場にある方々は、どんな恥をかいてでも犠牲者を0にするために戦争回避することこそが責務でしょう。

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2019年5月 4日

高野岩三郎が目指したNHK

昨日の憲法の日にアップした長文記事に登場した憲法研究会の言いだしっぺである高野岩三郎という人物、紹介したように戦後最初のNHK会長になった人物ですが、終戦まで言論統制での酷い憂き目を味わった経験を持つその就任挨拶は昭和21年(1946)4月30日に行われました。

その有名な部分が↓

「(NHKの放送は)権力に屈せず、大衆とともに歩み、大衆に一歩先んずる

この崇高な思いはGHQの占領政策が反共産主義に転換したことと、高野自身が任期半ばにして死去してしまったことで実現には至らなかったようです。

さて、それから70年以上も経った現在はそのような報道にNHKはなっているでしょうか?他のマスメディアはどうでしょう?

大いに疑問です。

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2019年1月31日

初詣の大惨事 VS 皇太子妃報道

毎日新聞がWEB上でアップしているサイトに「昭和毎日」というのがあります。これは、昭和のころにタイムスリップしたような思いを楽しむWEB新聞です。

そのサイトで、なんとなく今上天皇陛下と美智子皇后陛下が出逢ったころで、私が知らないニュースが在ったのだろうかと覗いてみたのです。

そしたら、おりしも日本国中が皇太子妃が誰になるかと話題になっていた昭和31年(婚約発表の2年前)、それもお正月の元旦に大参事が起きていたことを知りました。

 昭和31年(1956)が改まった直後の午前 0時20分ごろ、新潟県弥彦村の弥彦神社で、初もうでに訪れた人が石段で転倒したことから将棋倒しに。

高さ3mの石垣から真っ逆さまに落ちる人もいて、死者124人、重軽傷者94人を出す大惨事となった。当時、境内には約5000人がいて、午前 0時から始まった餅まきが終了し、帰宅を急ぐ混乱の中で事故は起きた。
(↓サイトよりコピペ)
http://showa.mainichi.jp/news/1956/01/post-3475.html

死者負傷者合計で200人を超す大参事じゃないですか。それも、お隣の県で、そして名もよく知っている神社です。

ただ、これほどの大参事が起きながら、当時の毎日新聞紙面では皇太子の婚約者についての記事のほうが大きいのです。

全国紙にとっては、大参事より皇太子の婚姻のほうが関心事項だったことがよく判るものですね。

マスコミ(全国紙)、そして人々の関心とは、所詮こういうものなのでしょうか。

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2018年12月13日

予防注射と旧暦の十一月七日

きょう12月13日の所に記載された旧暦の日付を見たら「11月7日」となっていました。旧暦ではまだ11月に入ったばかりだったんですね。

「嘉永2年11月7日」(西暦1849年12月21日)のきょうと同じ日、蘭方医の「緒方洪庵」が、古手町(現・大阪市中央区道修町)に「除痘館」を開き、佐賀藩が輸入した種痘を使って牛痘種痘法による切痘を始めたのだそうです。

アメリカのペリーが黒船で来航し江戸がパニックになる5年前のことでした。

当時の人々はこの先進医療が理解できず「牛になる」という噂が立ち、緒方たちは大変な苦労をしたとされます。

そこから約170年後の本日、わが母親はインフルエンザ予防注射をやってきました。

170年で医療技術や薬品も素晴らしく発達しましたが、病の種類はそのころより増えたように感じるのは私だけでしょうか。

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2018年11月26日

「たこ焼き」の味は会津の郷土料理?!

きょうの朝刊の記事にはびっくりさせられました。

大阪の家庭には必ずたこ焼き器が有るとまで言われる、あの大阪名物の「たこ焼き」の元祖は、福島県会津坂下町出身の故遠藤留吉さん(平成9年(1997)91歳で他界)と言う人が発案販売した物だったんだのです。

財団法人大阪都市協会が平成4年(1992)に発行した「暮らしと物価 大阪百話」には、大阪名物のたこ焼きは昭和10年(1935)に誕生し、遠藤留吉さんが「会津屋」という屋台で販売していた「ラヂオ焼き」にタコを入れたのが始まりだと記載されているそうです。

<福島民報新聞より引用> 

『ラヂオ焼き』は昭和初期、流行の最先端だったラジオ放送を屋台で流しながら販売していたため、その名が付いた。お好み焼きに似たもので、牛すじ肉やネギなどを入れていた。

ただ、牛肉は冷めると脂が固まり風味が落ちる。冷めてもおいしい具材を求めた結果、行き着いたのがタコだった。弾力のある食感が人気を呼び、「たこ焼き」として戦後、あっという間に広まったという。

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2018年11月 7日

台湾の大恩人を探しています・・

昨日の地元紙の朝刊に大きな見出しで↓のような記事が掲載されていました

明治時代から昭和時代初期にかけ、台湾の離島で‘へき地医療に尽力’した会津人がいた。

台湾の関係者の話や資料によると、会津若松市出身で軍医として島に渡った‘故佐藤 乾(さとう かん)さん’で、昭和15年(1940)に亡くなるまでの36年間にわたり医師として島民に寄り添い続けた。

佐藤さんの功績をたたえるとともに感謝の気持ちを伝えようと、台湾出身の有志が日本に帰国した佐藤さんの遺族を探している。

  ・・・(記事をそのまま引用)・・・

というものでした。同じ会津の野口英世博士以外にもこんなすごい医師が会津人に居たことに驚くと共に、感心して記事を熟読してしまいました。

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2018年11月 1日

明治元年の‘打ちこわし’(集団暴動)と渋谷

戊辰戦争から150年目を迎えた今年、福島県内ではあちこちでそれに関連した行事が開催されています。

石川町では10月31日に鈴木重謙屋敷で、特別企画展「慶應四戊辰日記-庄屋が見た戊辰戦争-」が始まりました。

底では山白石村(現浅川町)の庄屋・『松浦孝右衛門』が慶応4年(1868=明治元年)年1月から1年半記した日記が公開されているようです。

日記には、戊辰戦争の足音が徐々に近づき、住民の不安が募る様子、孝右衛門本人が石川地方の有力者として、西軍(新政府軍)の人足手配などに駆り出されていたこと、砲弾が飛来し、死者、怪我人は両軍合わせて約30人に及んだという記述もあるようです。

私の興味を引いたのは↓

明治元(1868)年12月に「世直し一揆」として表面化し、孝右衛門の自宅も打ち壊しに遭った

という記事でした。

この戦争では両軍の兵士たちが去った後に自宅を燃やされたりした住民たちが、食料をなどを求めて暴徒化し焼け残った家々を大集団で襲って壊し、物品や食料を略奪する事例が、我が村にも起こったことが記禄に在ります。

教科書には出てきませんが、福島県内のあちこちで起こったことがこの日記で判ります。

つまり、日本人にも暴徒化する気質は元々在るといことです。

昨日の、渋谷でのハロウイン騒ぎはくしくもその証となった気がしますね。

“政治屋”のみなさま方はこのこと、ゆめゆめ忘れることなかれ です

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2018年10月 7日

郵便配達員のむかし話

JPになった現在の郵便局の配達の方々が昼食をとる場合は、

  1. 近所の飲食店
  2. 弁当をコンビニなどで買って食べる
  3. 愛妻弁当

上記のパターンが一般的だそうで、普通に会社員と同じですね。

さて、昔の郵便配達はどうしていたのでしょう?。そのことについて、叔父の昔話で我が村の実態を細菌になって知りました。

時は終戦直後、逓信省が無くなり郵便局と電電公社に変ったころに叔父が目の当たりにした光景です。

とある山奥の一軒家に仕事で訪れその家の御婆さんと話していた時のことです。突然、郵便配達員が家に入ってきたのだそうです。

配達に来たわけでもなく、ごめんくださいの声もかけることなく、まるで自宅に来たかのように茶の間に横柄にどっかと座り、弁当を広げ食べ始めたというのです。

そしたら、その家の御婆さんは横柄な態度に怒るどころか、丁寧にお辞儀をして迎え、味噌汁まで出したのにはまだ若く何も知らなかった叔父はただあっけにとられたそうです。

後で判ったそうですが、配達する郵便局員のために、郵便局が何件かと休憩所契約をしていたようで、たまたまその内の1件に出くわしたようなのです。

我が村は遠いところだと片道2里以上にもなり、コンビニも無い時代、配達も徒歩で時間がかかるためそう言う場所を設けていたようです。

このことは村外や他府県でもやっていた可能性が考えられますが、検索しても出てきません。
まさか、我が村だけの極秘?特別なことだったのでしょうかね?

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2018年9月27日

9月26日にあった災害

台風24号が列島に近づいています。とんでもない台風であることは、巨大な台風の目が証明しています。

歴史を見ると

狩野川台風=昭和33年(1958)9月26日(金)

  • 台風22号が伊豆半島から関東地方を縦断
  • 静岡県を流れる狩野川が決壊し流域で死者・行方不明は1000人を超えた
  • 東京都内では約30万戸が浸水、がけ崩れ多発
  • この台風をきっかけに宅地造成規制の必要性が叫ばれた。

伊勢湾台風=昭和34年(1959)9月26日(土)

  • 台風15号が中部地方を直撃。
  • 最大瞬間風速は45mを超え、満潮と重なった伊勢湾岸の愛知県、三重県などに明治以来最大の規模の被害をもたらした。
  • 死者・行方不明は5000人以上、被害家屋は57万戸

巨大で強く、大きな災害を起す台風は9月に来るものが一番危険だということでしょうか?

また、不安な一日がやってきます。

予報では我が地域に影響する日付は‘10月1日~2日’という予想ですが、私は30日の日曜日に地区の共同作業が控えているのでとても気になります。

当日も、通過後も心配です。

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2018年9月15日

ラジオ体操・・90年

きょう、カーラジオを聴いていたら、「ラジオ体操は今年で90年になります・・・」という記念公開放送の様子が流れてきました。

そして、聞きなれた・・♫・・新しいあさが来た、希望の朝だ・・♪で始まる「ラジオ体操の歌」が流れ出しました。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/rajiotaiso.html

作曲は「藤浦洸」、美空ひばりの「悲しき口笛」や「東京キッド」などを作曲した人物、そして作詞が歌手として有名な「藤山一郎」というのは意外と知られていないことでしょう。

ラジオ体操が初めて放送されたのは社団法人日本放送協会大阪中央放送局=NHK大阪放送局が昭和3年(1928)8月1日から1か月間限定で放送されたのが最初だそうです。

つまり、今がちょうど90年目と言うことです。

聞くところによると現在は子供たちもやらなくなったそうで、高齢者の集まりの方が多いとか。時代は変わったものです。

ラジオ体操、の動作はほとんど忘れかかっていますが、あの独特のピアノ伴奏曲を聴くと不思議と思いだしてくるものです。あの曲は凄いです。

伴奏の曲は2度ほど改編されたようですが、私が知っているのは全て最も新しいもののようですが、とは言っても昭和20年代後半に作られたものですから、もっとも長く愛され馴染んだ曲と言えましょう。

改めて聞くとラジオ体操の歌も、伴奏の曲も不思議なパワーみたいのが感じられ良い曲なんですよね。

ちなみにその作曲家は↓です。

  • 第一 ⇒ 服部 正
  • 第二 ⇒ 團伊玖磨
  • 第三 ⇒ 橋本國彦

「ラジオ体操第三」については、過去の記事「ラジオ体操・・・第三!?」を参照にしてください
http://iwasironokuni.cocolog-nifty.com/komiti/2012/07/post-5a83.html

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