カテゴリー「歴史」の121件の記事

2020年5月11日 (月)

人間の歴史は、はやり病との闘いの歴史

「人間の歴史には戦争も含め、天災と感染症との闘いでもある」という言い方をする人が多いですね。

現在のコビッド-19のパンデミックもそれを裏付けています。

いくつかのサイトで、死者を多く出した古代からのパンデミック感染症のランキングという形で掲載されていました。

 1位・・・ペスト

  • 「黒死病」など、古代から多くの病名で大量の死者を出した最も恐ろしい感染症

 2位・・・インフルエンザ

  • 過去にはスペイン風邪などの名で死者を出し、今現在でもウイルスとの闘いは続いている。

 3位・・・天然痘

  • ローマ帝国は、この病によってほろんだとも言われる史上最悪パンデミックウイルス

 4位・・・コレラ

  • 日本では、感染するとコロリと死ぬので「コロリ」とも言われた感染病

 5位・・・チフス

  • 激しい下痢を起こし衰弱死する「腸チフス」は今でも知られた疫病

 6位・・・マラリア

  • 太平洋戦争において、アメリカ軍兵の最も多い死因は沖縄戦(死者20万人)、次いでマラリア感染での死だとも言われている。

上記のような、結果が出ているようですが、今でもその戦いが続いているのが多いのは恐ろしい限りです。

日本国内だけでの大量死と言えば、江戸の町や明治の陸軍兵などが1万人も死者を出したといわれる「脚気」、ビタミンがまだ発見されていなかったその時代では、脚気も「感染症」だと思われていました。

私の子供のころに恐ろしいと思っていた「日本脳炎」、そして私の祖母・叔父叔母まで死に至らしめた「結核」は今でも変異して薬が効かない「スーパー結核」と言うのが見つかって、戦いは続いているようです。

「コビッド-19」は、歴史上何番目のパンデミックになるのでしょうか?

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2020年1月21日 (火)

赤穂浪士が討入った日は、現在の〇月〇日?

毎年師走になるとテレビでは赤穂浪士討入、「忠臣蔵」の古い映画や話が出るのが常になっていますが、なんだか昨年末はほとんど無かったように感じているのは、私の勘違いでだったのでしょうか?

それはともかく、赤穂浪士(赤穂義士)たちが、吉良邸への討入を断行した日付は現在のカレンダーにすれば‘何月何日’になるのか、気になりませんか?

<講談、赤穂義士の吉良邸討ち入りの一節>

時は「元禄十五年、極月(師走)の十四日、寅の刻」、所は「江戸・本所松坂町の吉良上野介の屋敷・・・

上記のようになりますので、それを細分化すると

  1. 年号・年・・・元禄15年
  2. 干支  ・・・壬午(みずのえうま)
  3.  月  ・・・12月
    ※この年は閏月があるため、1年は13ヵ月
  4.  日  ・・・14日
  5. 六曜  ・・・先勝
  6. 時刻   ・・・午前5時前ごろ

これらのことを令和元年度(平成31年度)に合わせると、こんな日にちにあてはめられます。

 

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2019年8月21日 (水)

ふくしま県民の日

きょうは「福島県民の日」という記念日になっています・・・が、県民でも承知している人は多くない気がします。
じつは私もよく判っていませんでしたので、テレビで報道されるまで気が付きませんでした。

なぜ<8月21日>が県民の日なのか? 改めて県のホームページで確かめてみました。

 明治9年(1876) 8月21日に、旧福島県(二本松県と旧福島県の併合)・磐前県若松県の3県が合併して現在とほぼ同じ福島県の姿が誕生したことから、郷土への理解を深め、郷土愛を育みながら、県民が心を合わせてより豊かな福島県を築き上げ次世代に引き継ごうと平成9年(1997)に制定しました。(※福島県のHPからそのまま引用

↑という説明がありましたが、もっと細かく言うとこの3県に、旧仙台県(現宮城県)の南部が併合されています。

この3県が、現在の福島県の3地方、会津地方・中通り地方・浜通り地方の三通りの呼称の素になっています。

明治9年というのは閏年、干支は丙子(ひのえね、へいし)、明治政府の「第2次府県統合」が行われ年で、これによって福島県の他に山形県・宮城県・群馬県・栃木県・埼玉県・長野県・岐阜県・静岡県・京都府・兵庫県・福岡県・大分県がほぼ現在の形になった年です。

そしてこの年は、明治政府が大礼服着用者・軍人・警官以外の帯刀を禁止した法令、つまり歴史上で有名な廃刀令が断行されたとしになり、これで特権を奪われた不平士族の中には、反乱を起こす者が現れ始めた年でもあるようです。

今から数えて140年ほど前、私の亡き祖父が生まれる15年ほど前のことなんですが、記念日となったのが平成9年で、比較的新しいのはどういうことなのでしょうかね?。明治9年と平成9年を合したのでしょうかね。

平成9年は日本がサッカーワールドカップに初出場し大騒ぎだった年、そして我が家では・・・父が亡くなった年であります。

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2019年7月 4日 (木)

偶然の独立記念日

1776年の7月4日、アメリカはイギリスから独立し「アメリカ合衆国」になりました。

それから170年後の1946年、日本では昭和21年の同じ7月4日、こんどはフィリピンがアメリカ合州国から独立を果たしました。

この偶然はなんでしょう?不思議ですね。

ちなみに日本ではフィリピンの独立からほぼ40年後の1967年の7月4日のきょう、タカラが「リカちゃん」を発売開始した記念の日だそうです。

このことを同じ偶然に入れるのは、かなり強引ですね。

ちなみにわたしの母型の祖父はフィリピンのルソン島で戦死しています。終戦になる前年のことでした。

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2019年7月 1日 (月)

捕鯨 と 浄瑠璃

ついに日本の商業捕鯨が再開されました。グリーンピースなどの妨害が起こるかもしれませんが、こんどは日本の領海内での操業になるので「領海侵犯」で対抗できるかもしれません。

そもそも日本が脱退を表明したIWCとは国際捕鯨委員会であり、目的は‘乱獲しない捕鯨を推進’であり“捕鯨禁止”が目的の組織ではなかったはずなのに、いつの間にかクジラの乱獲の真犯人国家だったオーストラリアやアメリカの意向で変わってしまったのですから、脱退は致し方ないというのが私の考えです。

クジラの商業捕鯨が可能になったことで、無形文化財にもなっている浄瑠璃人形やからくり人形には欠かせないクジラからとれる素材が、今まで捕獲禁止が長く続いて入手は絶望的な状況だったことが解消しそうです。

ちなみに、捕鯨の伝統的文化を持ち食糧として捕鯨をしている国々には、ロシア、日本、ノルウェー、アイスランド、フェロー諸島(デンマーク自治領)、カナダ、インドネシアなどが挙げられ、ほとんどがIWC=国際捕鯨委員会を脱退していて、日本は遅いくらいでした。

捕鯨反対の先頭に立つオーストラリア国内では、カンガルーの捕獲が問題になっていて、筋金入りの反捕鯨派でもあるムジャドウェシュという人は「カンガルーを殺すのをやめるよう、日本がオーストラリアに圧力をかけるのは大歓迎だ」と語っているそうです。

オーストラリアって、矛盾した国家です。

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2019年6月16日 (日)

若松コロニー

明治維新のころと言うのは、日本の歴史が最も混沌とした時期でありましょう。ですから、知らない史実が非常に多く存在しています。その多くは明治政府によって隠蔽されたものですが、そればかりではありません。

福島の地元紙ではそういう史実で福島県ゆかりの事柄や名を残さずとも偉業を行った人物を震災後から特集するようになりました。
先週からの話題は「若松コロニー」について慰問団や歴史を特集していますが、これまた全く私は知らない歴史でした。

若松コロニーとは戊辰戦争そして会津戦争終結後の明治2年に旧会津藩からアメリカの東海岸側に在るカリフォルニア州に渡った農業開拓団の入植地のことです。

 今から150年前の明治2年(1869)、会津藩軍事顧問だったヘンリー・スネル氏と共に米国船「チャイナ号」でサンフランシスコの港「サウス・ビーチ」に到着したとされ、日本人として北米最初の移民団はエルドラド郡ゴールドヒルでアメリカ本土初の日本人入植地「若松コロニー」を形成し茶と絹の生産を試みた。
しかし、その試みはうまくいかず若松コロニーはわずか2年で崩壊し、入植者たちは帰国したり散り散りになり、その存在すら人々の記憶から消えていった。

年月は流れ、日本では改元になり大正時代となったころサクラメントの邦字紙「櫻府日報」(日本人向けのアメリカ国内の新聞)の記者の竹田文治郎(雪城)氏が、若松コロニーの一員で唯一現地に残り、19歳という若さで亡くなった少女「おけいさん」を、‘アメリカ本土の土に眠る最初の日本人女性’などとして紹介しその特集記事を載せたことで世に知られることになった。それは大正5年(1916)のことであり、すでに50年近くも経ったころであった。

今回、跡地を訪れ、現地に記念碑を建立する若松コロニー150周年記念会津訪米団は、コロニー跡地にある日本人女性初の米国移民で故郷を思いながら19歳で死去した「おけい」の墓があるゴールドヒルの小高い丘の上で式典やおけいさんをしのぶ歌などを合掌し、御霊を慰めたようです。

訪米団が建立した「義」の文字の入った記念碑は、訪問団の団長を務めた会津松平家15代当主となる松平親保(ちかもり)さん(20)が揮毫(きごう)したそうです。

150周年記念行事は、訪米団がアメリカに到着した6月8日に合わせたらしく、それで今月になったようです。

150周年訪問団は、地元のメディアの取材を受けたようですが、コロニー跡やおけいさんのお墓を残してくれていた地元のアメリカの人々の心遣い、なんだか日本人的な気がしました。

 

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2019年6月15日 (土)

御朱印・・・お断り?!

いつのころからブームになったのか判りませんが、なんだか旅行者には御朱印帳と言うものに参拝したお寺や神社から頂く「御朱印」というのを集めるのが流行りなんだそうですね。

御朱印とはお寺や神社に参拝した時に、朱色の押印や参拝日、お寺名・神社名、御本尊・御祭神などを墨書きした印章、印影のことですが、元々はお寺で写経をした際にそれを納めた証としていただく受付の印、つまりお経を収めた方へお寺から出される‘受領書’のようなものを指すのが御朱印だったようです。

それが現在はお寺だけではなく、神社でも発行するようになり、それを旅行者が旅先の記念と証しとして集め出したのが、現在のブームになっていったようです。

このように御朱印とは仏様や神様とのご縁によって成り立つものだということを頭に入れ、正しいマナーで御朱印をいただくよう心がけなければいただく資格は無いものなのですが、ブームによって悪質な者が増加してトラブルになって困っているお寺や神社が増えているようです。

今年、全国放送のテレビの番組でも紹介されましたので知っている人も少なくないと思いますが、会津白虎隊の墓所がある飯盛山ではあまりにもマナーが悪い客が多く、「御朱印発行の廃止」を決め話題になっています。

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2019年5月28日 (火)

花火の日

本日5月28日は「花火の日」という記念日になっています。

これは、亨保18年(癸丑=みずのとうし)5月28日隅田川で水神祭りの川開きが行われ、江戸の大火で亡くなった人々の慰霊を兼ねた花火が打ち上げられたことに由来する記念日になります。

時は8代将軍徳川吉宗の時代で、江戸3町奉行(南町、北町、中町)の中の南町奉行には大岡越前、時代劇の有名人が活躍して「「享保の改革」(江戸時代三大改革)を推し進めていたころの話です。

日付けを見るとかなり夏前のように感じますが、西暦で言うと‘1733年7月9日’ですから、やはり夏真っ盛りのころの花火だったことが判ります。

この伝統ある東京の‘慰霊の花火大会’が2011年の東日本大震災のときは「派手な行事は自粛」という、この花火の本来の意味を知らない(馬鹿な)役人や関係者によって中止になったことに対し、わたしは無念と憤りを覚えたのを今でも忘れません。

ところで、何年か前にこのブログでも記事にしましたが、「花火の日」という記念日はもう一つ存在します。それは8月1日です

8月1日の花火の日は
この日は、太平洋戦争中に禁止されていた花火が1948年(昭和23年)に解禁された日、そして1955年(昭和30年)の同日には東京の花火問屋で大規模な爆発事故があった日であり、さらに世界一の花火大会とも言われる「教祖祭PL花火芸術」の行われる日、それらを記念して制定された日だそうです。

さて、記念日を一つにするとしたら、どっちが「花火の日」にふさわしいでしょうか?。

私は、5月28日の由来のほうが、個人的には好きですね

 

 

 

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2019年5月 5日 (日)

5月5日 節分

本日は‘土用’が終わる日、つまり明日が立夏と言うことで「 節分 」です。

でも、ちょっと昔の事件をみてみたら、第二次大戦の終戦が迫る昭和20年(1945)の日、アメリカ西に位置し太平洋側の・オレゴン州では日本がアメリカ本土攻撃のために飛ばした風船爆弾の不発弾が爆発し、アメリカ人6人が爆死するということが起きていました。

なんとその6名の犠牲者は、太平洋戦争においてアメリカ本土内での唯一の死者だったとか言われます。

同じころ、日本ではアメリカ陸軍の爆撃機による空爆などによって国内では80万人とも言われる民間人死者が出始めていました。そのとき私の母は15歳、父は19歳(召集令状が来る少し前)の多感な青年期でした。

戦争のによる犠牲者は数で比較してはいけないことですが、なんだか割に合わない人数であるとしか感じられませんし、政治家や国を左右する立場にある方々は、どんな恥をかいてでも犠牲者を0にするために戦争回避することこそが責務でしょう。

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2019年5月 4日 (土)

高野岩三郎が目指したNHK

昨日の憲法の日にアップした長文記事に登場した憲法研究会の言いだしっぺである高野岩三郎という人物、紹介したように戦後最初のNHK会長になった人物ですが、終戦まで言論統制での酷い憂き目を味わった経験を持つその就任挨拶は昭和21年(1946)4月30日に行われました。

その有名な部分が↓

「(NHKの放送は)権力に屈せず、大衆とともに歩み、大衆に一歩先んずる

この崇高な思いはGHQの占領政策が反共産主義に転換したことと、高野自身が任期半ばにして死去してしまったことで実現には至らなかったようです。

さて、それから70年以上も経った現在はそのような報道にNHKはなっているでしょうか?他のマスメディアはどうでしょう?

大いに疑問です。

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