節の野菜
きのうも、一昨日も、その前も
きうり、ナス、 キウリ、なす
パリポリ、ぱりぽり きゅうりを食べる
明日も同じだろう
夏には 夏野菜が一番
ゴーヤー、ピーマン、オクラ、ズッキーニ
なのに昨今は 一年中同じものが店舗に有り
それは それでしあわせなことだが
なにか 違う ちがうんだよなぁ
菜花草人
きのうも、一昨日も、その前も
きうり、ナス、 キウリ、なす
パリポリ、ぱりぽり きゅうりを食べる
明日も同じだろう
夏には 夏野菜が一番
ゴーヤー、ピーマン、オクラ、ズッキーニ
なのに昨今は 一年中同じものが店舗に有り
それは それでしあわせなことだが
なにか 違う ちがうんだよなぁ
菜花草人
夜の空に 無数に光る星
まるで 亡き人があの世から衆生を見る窓の灯りのよう
残した家族を見つめたり
次の転生の親を模索したりしているようだ
流れ星は 新たな親が見つかった魂か?
俺を見つめる窓の灯りは どれだろう?
誰だろうか?
菜花草人
そんなこと こだわる必要もないのに
気になり 憤り イライラして眠れない
夏の早い朝日が 部屋を明るくし始め
寝不足で 頭痛がし始め さらに眠れない
洗顔するとき 目にクマができた顔を見ながら
昔からそうだったと割り切ろうと思うが、
年のせいか それはさらに強くなっている気がする
損な性分だが
それだけまだ頭脳が回転している証と
自分に言い聞かせる 日々 日々 日々
今日も 眼の奥が痛い
菜花草人
昨日は 終わった時間
今は 流れる時間の上にいる
時間は 規則正しく流れてはいない
時計は、人が作った時間のものさしに過ぎない
時間は不規則で 早かったり遅かったりする
俺の日々は 早いのか? 遅いのか?
わかるのは 流れは止まらないことだけ
その日々を生きる
その結末は決まっているが 今は日々を生きる
菜花草人
春分の日が過ぎたのに 外は雪が降る朝
茶の間には よそられた白いご飯から白い湯気
彼岸の余り物の 天ぷらが皿に盛られ
朝のテレビ小説を視ながらの 家族そろって朝食
テレビからの音以外は 食べる音だけの朝
いつもの 我が家の朝の食卓
平穏という ただ平穏という時間
また明日も 同じでありますようにと
心の隅で思い ちょっとだけ祈った
菜花草人
お盆の朝 近所の畑から草刈り機のエンジン音
来客が無いのだろう(?)
コビッド-19感染拡大と お盆の15日
世は帰省ラッシュのようだが 遠慮する家族も多い
誰も来ない茶の間から なんとなく外を見れば
雑草だけが元気よく伸び 気になってしまうもの
それは 致し方ないことだが
お盆にの草刈り機のエンジン音は 寂しく感じる
菜花草人
来年 家族 自分はどう迎えているだろう
半年後は
三か月後は
一か月後は
来週は
明日は
今夜は
諸行無常 そんな思いがあふれると
眠れない
どうか つつがなく暮らせますように
どうか 変わりなく迎えられますよう
菜花草人
流れ行くものは、川か?
流れ行くものは、風か?
流れ行くものは、時か?
流れ行くものは、時代か?
流れ来るものは・・流れ来るものは
何?
流れ行くものと、流れ来るものが
毎日どこかで すれ違う
姿なきものが すれ違う
明るい灰色の空から細かい雨が 音も無く
しずかに静かに とめどなくおりて
屋根、草、砂利、土、畑、庭、道路に当たり音を出す
それは まるで雨が声をあげてるようだ
人は その様子に風流だとか 湿度が高くて雨は嫌だとか
それぞれに 勝手なことを感じて 言いながらも
みな 顔を上げ雨空を見るのがおもしろい
それはまるで
「空を見上げろ」と 雨の声が聞こえ 解ったかのよう
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