あら!明日は立秋だよ
何気なくカレンダーを見て気がついた「明日は立秋だ!」
ということは「今日は節分だったんだ」そう独り言をもらしてしまった。
「何言ってんの?節分は春じゃないの」と思う方もいるでしょうが節分は立春、立夏、立秋、立冬の前日の日をさす言葉ですので年に4回あるんです。
どんどん言われなくなってきてしまったのでしょうがないことですがね。そういえば春の節分の豆まきの行事は江戸では1月31日の大晦日に神社やお寺でやるもので各家庭はもちろんのこと節分にはやらなかったことだそうです
時代はいろんなことを変えてきますね
お盆もそうですね
お盆は7月15日が本来ですがほぼ全国的には月遅れの8月15日に行われ、一部では旧暦の日にやるところもあります
つまりお盆は三つの日にちがあるというユニークな現象がおきています。
それをあまり気にしないのが日本文化というのだそうですが外国の方たちから見ると不思議でしょうね
きっと
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コメント
日本の文化、伝統、習慣などのいい加減さ?は、確かに特筆ものだと思いますね。
商売と結びついてなお一層いい加減です。
それがいいところでもある?
投稿: もうぞう | 2005年8月 7日 19:58
)もうぞうさん
はははは いい加減ですね
よく言えば柔軟性があるでしょうかね
投稿: 玉井人 | 2005年8月 7日 22:35
ほほぉ、勉強になりました。
お正月には神社に行き、クリスマスを祝い、なんでもありの日本ですね。
投稿: mine | 2005年8月 8日 09:01
)mineさん
そうなんですね
我が家の菩提寺の和尚さんが1000年以上もの歴史のある神仏一体の考えを明治政府によって壊されたことをよく嘆いていました
日本人はいろんな習慣を自分なりに取り込む考え方があるようです。その思考は東洋人には共通するような気もしますね
話がかてえ~なあ~ おれ
投稿: 玉井人 | 2005年8月 8日 11:17
あまりにタイミングのずれたコメントで申し訳ありません。
習慣や風習でその内容に本質的な意味がない形式的なものは、やがて簡略化されたり時代の要請で都合良く変更されて行くものだと思います。
古墳時代に三種の神器である「鏡・剣・勾玉」をかたどった石製のミニチュアが祭祀に使われていたのですが、これなども、はじめは実物に忠実で精巧に作られていますが、時代が下るにつれてただの○や▽に近い形に簡略化されていきます。
最近では、正月飾りのエビやダイダイが焼き物に変わり、挙げ句の果てに、鏡餅まで袋詰めの切り餅が入った塩ビ製になってしまったのはご承知の通りです。
家の近所では、松送りの日がいつの間にか1月7日から、「7日以降の最初の日曜日」に変わってしまいました。これなども、現代の生活事情に合わせて変化した良い例だと思います。
飾り物や日時などはその時代に合わせて変わっていくのでしょうが、「新年を祝う」「先祖の霊をまつる」といった本質的な部分は失われることはないでしょう。
少なくとも今世紀中は・・・
投稿: ○な | 2005年8月11日 01:01
)Oなさん
そちらでも土日に行事を合わせるのがふているようですね
こちらもほとんどがそうなりました。いまだに昔からのを守っているのは二本松提灯祭りくらいになりました
我が家の菩提寺和尚がよく言っていました
「日にちなどはその人の都合に合わせていいんです。先祖を祭る心、それをやろうとする心がとても重要で大切なことです」
これは<Oなさん>のいうことと同じことだと思いますね
わたしもそのとおりだと思います
投稿: 玉井人 | 2005年8月11日 20:56