« 告別式にまたもや参列 | トップページ | <洋式トイレ>男性諸君へ »

2006年9月23日 (土曜日)

黄門様となぜ呼ぶの?

テレビでおなじみ水戸黄門様なのだが、印籠を出したときは「中納言光圀公なるぞ!」と格さんが言っている

黄門となぜ言うのだろうと、不思議とは思わないだろうか

黄門とは朝廷からもらう官位「中納言」のことを呼ぶ別称なのである。
なぜそう呼ぶのかは、日本が官位をつけるときに参考にしたのが唐の国の律令制を参考にしたためである。

唐では門下省(中央官庁)次官を「黄門侍郎(こうもんじろう)」と呼び、
日本では太政官の次官が中納言となり、位が同じ位置になるので黄門と言ったそうだ

となれば、中納言を貰った人はみな黄門様と言われたことになるわけだ。
つまり、伊達政宗もじつは黄門様となる

そして、「水戸黄門」といわれた人は次の水戸歴代藩主が当てはまるわけだ

  • 初代~頼房(よりふさ)
  • 二代~光圀(みつくに)
  • 三代~綱条(つなえだ)
  • 八代~斉脩(なりのぶ)
  • 九代~斉昭(なりあき)
  • 十代~慶篤(よしあつ)

こんなに「水戸黄門様」がいることになってしまうのだ
これでは、物語にはならない。

ところで、水戸黄門様の明治以前の話は、お共は俳人をつれていたようだ。
印籠は出さずに徳川光圀の俳号である「水隠梅里」を紙に書き示し身分を判らせ悪者退治がストーリーだったようだ。

明治20年ごろから、水戸藩の彰考館総裁をしていた「佐々十竹(さっさじゅっちく)」と「安積澹泊(あさかたんぱく)」をモデルに「佐々木助三郎、渥美格之進」を共になる今の形に定着したそうだ。

ただし、諸国漫遊はまったくやっていなかったし徳川御三家の重臣のみが自由に歩けるはずもなかったのである

庶民の希望がこの形なったのだ、爽快単純なストーリーではあるがわたしは大好きである

| |

« 告別式にまたもや参列 | トップページ | <洋式トイレ>男性諸君へ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 黄門様となぜ呼ぶの?:

« 告別式にまたもや参列 | トップページ | <洋式トイレ>男性諸君へ »