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2006年11月26日

同じ長命でも

二日にわたって法要にいってきて思った。どちらも100歳に近い長命を全うし天に召された人たちであったが、その法要の様子は極端だった

かたやは、参列者10名にもならず寂しい法要であった。

もう一つは、親戚だけで40名以上それに孫、ひ孫が混ざり50名ほどの大所帯。

同じく長い間生きてきてこんなに違いが出るのは何だろうか?
人の一生とはその人が亡くなったときにどれくらいの人が涙を流すかで決まるといわれる。

この二人の葬儀のときも対照的だったのを思い出した。

Img_0885 自分はどうなるだろうか、そんなことを思いながら祭壇前でお経を読む和尚さんの背を見つめていた。

でもそれも長くは続かなかった。正座時間が長くて足に神経が行き「和尚さんそのくらいでかんべんしてくれ~」と心の中で叫ぶ始末で、これではどうしよう

と思っていたら「ガンニシクドク フギュウオイッサイ ガトウヨシュジョウ カイグジョウブツドウ」と聞こえてきた。

「あっ!終わりだ」この経文「法華成仏偈(ほっけじょうぶつげ)が聞こえれば終わりなので思い切って足を崩す無作法なわたしだった。

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コメント

葬式やお通夜では、本人にもよりますが、家族によっても大きく違ってくると思います。

つまり、なんの変哲もない爺でも婆でも出来のいい(活躍中の)子供がいれば、参列者は大きく違ってきます。
私も先日行ったお通夜では、寂しいものでした。

投稿: もうぞう | 2006年11月27日 06:46

)もうぞうさん

遺族の活躍や立場、仕事で参列者の違いはものすごい差になりますね。
本当にそうですがそれは葬儀だけでの話ですね

法事は近親の者たちが集いますから、方やひ孫まで集まり、方やは子供までろくに来ない。
それでは、故人は今何思うのだろうと考えてしまいます。

投稿: 玉井人 | 2006年11月27日 08:10

冠婚葬祭って、めんどくさいですね。世間体とか、近所付き合いとか、親戚付き合いとか…気持ちの持ちようだとは頭で分かっていても、金銭面じゃシビアにならざるをえませんね。早めにポックリが、今後の目標です。(笑)

投稿: まめちゃん | 2006年11月27日 15:45

)まめちゃん

そのとおりですね。
今回の故人、その点でも対照的でした。
長い間入院生活の人と、倒れてまもなく逝った人とでした

投稿: 玉井人 | 2006年11月27日 15:56

こんばんは、玉井人さん。
玉井人さんは法事へ参列だったのですね。
そうですね、法事は親戚が対象ですから、玉井人さんが言われること分かります。
子供までろくに来ないというのは寂しいですね。
しかも子供がまだ沢山いるのにというのであれば。
話は変わりますが、ちょっと話題がかなり前のことですが、玉井人さんテンプレートを秋になった頃、秋らしいのに変えられたのですね。
この落ち葉のテンプレート、中々素敵です。

投稿: 浜辺の月 | 2006年11月28日 00:26

)浜辺の月さん

テンプレートはなかなかしっくり来るのがこないんですよ、本当は。
また替えるかもしれません。他のブログは固定しようと思ってますがこのページが今ひとつの思いがあります。
法要の様子は、なぜそうなるかの要因を知ってますがプライベートなのでやめておきます
どちらが良いかは一概には言えない子もしますしね

投稿: 玉井人 | 2006年11月28日 09:43

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