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2006年12月 6日

喪中の期間はどこまで?

年末のころになると迷うのが「喪中(服喪、喪服)はいつまでなのか?」ということではないだろうか。

地域や家柄、宗派などかなり解釈が違うので難しい判断を迫られることが多いものだ。
「我が家は喪中のはがきを出そうか?どうしよう?」聞いても明確に数字で言える人はいないはずである。

ところが、地域の長老などにはしっかりとした数字を言う人がいるはずである。

これは、江戸時代に出来上がり、明治政府によって国が続柄ごとに事細かく日数を決められた法令が存在したからである。

明治7年(1874)大政官布告の「服忌令(ぶっきれい)」である。

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  • 忌中のこと(神道由来の慣習)
  • 喪中のこと(儒教等由来の慣習)

喪中(もちゅう=服喪)は仏教・キリスト教等には関係が無いらしく、どちらかといえば儒教などの中国の慣習が仏教伝来とともに伝わってできた日本の慣習である。

僧侶(曹洞宗)に問うと「四十九日」を過ぎれば、仏教としては成仏と考えるので、それ以降は個人の考え方次第だそうである。

尚、「浄土真宗」では葬儀が終われば成仏とう考えが基本なので、四十九日と冥途の考え方が無いので、当然に忌中も喪中も無い。













































続柄
忌日数
服(喪)日数
父母
50日
13カ月
養父母
30日
150日
50日
13カ月
20日
90日(150日)
嫡子(息子)
20日
90日
その他の子(娘)
10日
90日
養子
10日
30日
兄弟姉妹
20日
90日
祖父母(父方)
30日
150日
祖父母(母方)
30日
90日
おじ・おば
20日
90日
夫の父母
30日
150日
妻の父母
なし
なし(7日)
曾祖父母
20日
90日

 

上記が明治7年に出された「太政官布告」の一部で現在も基本の数字になっている主なものである(男尊女卑の数字ではある)
よく聞く日数が見られると思うのだがどうだろうか

 

もう一つ「皇室服喪令」(明治42年)と言うのが出され、これも違う数字のところは二箇所だけぐらいで同じ数字が並ぶものだ。

 

ちがうところとは下記のところ(表のカッコ内数字)

 

    • 妻(90日)  ~150日

 

  • 妻の父母(なし)~7日

 

*上記の両法令とも戦後廃止されている

 

現代は忌中が49日(七日七日)で、喪中が家族または親子関係は1年、次いで近親順に90日または100日を過ぎると喪開けにしているのではないだろうか?

 

会社などでは「妻方夫方共通で3親等」までを近親者と見なすのが一般的になってきている。
それにあわせて1年間喪中というやり方もありだろう。

 

大体共通するのは四十九日を越せばその判断はどちらをとっても、悪いとは言いがたいといったところのような気がする。

 

迷っているときは明治のころの数字を参考にするのも良いかもしれない

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コメント

むかしはこんなのまで法令で定められていたんですか?びっくり!
今の慣例だと1年ですね。場合によっては四十九日を過ぎたところで喪明けしてしまうケースもあるようです。せちがらい!

投稿: Racexp | 2006年12月 7日 19:40

)Racexpさん

日にちなどの数字はしょせん人間が作ったものですからこのような神仏的なところから見れば関係ないとも言えますから、心がけ次第でしょうね。

投稿: 玉井人 | 2006年12月 7日 20:33

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