童謡に託されたいわき市の思い
映画「フラガール」のヒットで一躍話題の福島県いわき市湯本であるが、今度は「童謡」を観光にしようとしているようだ。
野口雨情という人を知っているだろうか?
隣県の茨城県の人であれば誕生したところなので「野口雨情記念館もありますからよく知っています。知らなくちゃ茨城県では恥ずかしいですよ」と答えるに違いない。
昭和20年になくなるまで軍国主義の日本で童謡の作詞をして有名になった文化人である
代表作には「しゃぼん玉」「七つの子」などの今でも歌われる名作を数多く書いた人といえば、わかるはずだ。
その野口雨情といわき市とがどう結びつくのかと思ったら、大正時代のころいわき市常磐湯本町に暮らしていたことがあるそうなのだ。
そこで湯本では、旧常磐銀行湯本支店(75年ほど前に建てられたレンガの建物)を改造して、
「童謡館」を開設し、その中心に「野口雨情」をすえようという計画らしい。
音楽と温泉、そして茨城県北茨城市、高萩市と連携して観光PRと交流の基点としたいようである
さて、「フラガール」のようにうまくいくのかは未知数である。
ただ野口雨情記念館に行ったことがある私は、思ったほど集客とはなっていなかったのを記憶している。(そのときたまたまだったのかもしれないが・・)
その辺の茨城との絡みもある計画なのかもしれない。
とはいえ「作詞家野口雨情」本人には何の関係無もない。
軍国主義真っ只中の文人や芸術家たちの規制は激しかった。
そこで歌を作る人たちは検閲をかいくぐるように「反戦。平和、慈愛」を「童謡」として世に「メッセージソング」として出したと聞いている。
そういうふうに考えて野口雨情の作詞を聞くと違ったものが見えてくるから面白い。
「しゃぼん玉」
♪しゃぼん玉飛んだ、屋根まで飛んだ、屋根まで飛んで壊れて消えた、風かぜ吹くな・・♪
きれいなしゃぼん玉を若い兵隊さんの御霊になぞらえ、純粋で美しい命が風という戦争に壊され奪われていく悲しみを謡っているようには聞こえてこないだろうか?
人の命がしゃぼん玉のように軽く扱われた悲しい歌にも聞こえてこないだろうか・
作詞者は本当の意味を言うと捕らえられてしまうので胸にしまったまま天へ召されてしまった今、その思いはわからない。
しかし、「七つの子」も愛情、慈愛が垣間見れるところを見ればなんとなく、その時代の芸術家の抵抗と想いが感じられる。
そんなことを頭に入れながら「童謡館」ができたら訪れるのもまた良いかもしれない。
| 固定リンク | 0
コメント
初めまして山桜と申します。ももりさんの所からお邪魔致し
ました。 どうぞ宜しくお願い申し上げます。
親戚が住んでいるので常磐方面は度々訪れます。
今年のお正月はいわき湯元温泉やアクアマリンふくしまに
行って参りました。 野口雨情記念館は、仰るとおり賑わう
ほどではありませんが、アットホームな雰囲気の静かな
記念館で、好きな場所です。
「しゃぼん玉」は2歳で亡くなった愛娘を悼んで作られたと
聞いていましたが、なるほどそのような気持も重ねていたかも
しれませんね。
投稿: 山桜 | 2007年1月27日 (土曜日) 15:51
)山桜さん
こちらこそよろしくお願いします。
この記事に書いた反戦や平和、政府批判などそのころ処罰されることを童謡に替えていたということは「野口雨情記念館」に行ったとき片隅に解説としてあったもので知ったのです。
「そうなんだ」と感動して帰ってきました。
しゃぼん玉の歌は、私の想像ですがあながち的外れではないと思いまして記事にしました。
今度はそちらへお邪魔させてもらいます。
投稿: 玉井人 | 2007年1月27日 (土曜日) 16:24
お返事ありがとうございました。 その上に厚かましいのですが、
博識の玉井人さんにお尋ねしたいことがあります。
先日アクアマリンふくしまを訪ねた際に目にした「酉小屋」の
来歴などについて(↓ブログに書いた記事はこちら)
http://yamasakuran.seesaa.net/article/30948322.html
なにかご存知のことがあれば教えて戴けないでしょうか?
投稿: 山桜 | 2007年1月29日 (月曜日) 15:55
)山桜さん
こちらこそ、ありがとうございます。
「とりごや」ですか。
来歴とはいきませんが知ってることをそちらの記事にコメントさせてもらいます。
なお下記の記事をTBさせてもらいます。
https://iwasironokuni.cocolog-nifty.com/komiti/2005/01/post_4.html#comments
投稿: 玉井人 | 2007年1月29日 (月曜日) 17:26