« [〒ゆうゆう窓口]の廃止!? | トップページ | 男性の30パーセント »

2007年2月19日 (月)

上杉謙信は女性だった?・・・!

プロフィールでも紹介しているように私は誕生日が同じなどの理由から好きな歴史上の人物で「上杉謙信」を好きな人としている。
言わずと知れた戦国時代に「武田信玄」と並んで最強の武将であり知将であり、「敵に塩」で有名になったように義を尊ぶすばらしい戦国城主である。

この戦国武将の代表者に「上杉謙信は女性だったのではないか?」という女性説があることを知っているだろうか?

上杉謙信は生涯女性を近づけなかったなどからその説があるそうだ。

それに対し反論もある。
生涯女性を近づけなくても戦国時代の武将が同姓の男性をそばに置き性の対称にしていたことは当たり前であり、それがイコール女性となる理由にはならない。
そしてなにより、男性しか入門出家できない林泉寺で出家していること、
絶対に女性が入ることが禁じられていた女人禁制の高野山何度か入山していること
などから「女性であるはずが無い。男性に決まっている」という意見もあるのも確かである。

どんな理由から「上杉謙信女性説」があるのか私なりの書き方であげてみた

  1. 戦国武士が小姓という名で戦場において警護と性の対象に若侍を置くことは誰でもがやっていたが、他の武将は城に正妻を置き子供を作っているのに対し、まったく近づけなかったというのは男性としていかにも不自然 
     
  2. 女人禁制の寺や修行山に男性じゃないと入れないというが、この時代女性が男装して行けば「女人にあらず」と認められ何人も入山している記録があるので男性でなければならない理由は無い 
     
  3. 謙信の死因は一般的には脳溢血(のういっけつ)とされているが、複数の文献には「大虫(おおむし)」が死因と書かれてある。
    大虫とは「更年期障害」の病気で女性病の一つだ。49歳という年齢での死も「更年期」というのが当てはまるし、男性の死因に女性の病気を間違えて記録しないはずだ<亡くなったのは3月9日で場所は春日城厠(かわや)>
     
  4. 謙信はこの時代の生死を分ける激戦の中なのに、なんども腹痛で戦いを中断している記録がある。(原因の記録は無い)
    それがほぼ毎月10日ごろなそうで(亡くなったのも9日)、これは定期的なことから「生理痛」だったのではないかと思われないか(一説にはかなり頻繁だったともあるので胆石では・・)
     
  5. 傾奇者(かぶきもの)と言ってこの時代変わった格好をする武将がいた。しかし、傾奇者でもなく神仏に統帥しまじめな謙信が着たと残されている衣服は女性のような赤い着物が多いし、筆跡や気遣いが女性的
     
  6. スペインのゴンザレスと言う人物が日本を訪れて、国王(フィリペ2世)に当てた上杉謙信の照会文には「上杉謙信は景勝の伯母(おば)・・・」と記載されてある
     
  7. 当時、有名人である上杉謙信の流行り歌がよく歌われたそうだが、
    その歌詞に「♪~まんとら様(謙信の愛称)は男も及ばぬ大力無双・・・♪」とあり、完全に女性を指している
     
  8. 記録によると上杉謙信は身長が160センチ近くとされる。
    これは「謙信は大柄な武将であった」という記録でいくと当時180センチくらいの武将が少なくない時代に合わない気がする。
    しかしこれが女性としてみた場合の160近くは大柄である
     
  9. 白山神社は男女一対のご神体が常識なのだが、
    越後にある白山神社は全国で唯一、女神像だけでその女神は上杉の旗「毘」を差し上杉家の春日城跡を向いている。
     
  10. 謙信の時代、信長の伯母(おつやの方)も城主だったように女性が「一国の城主」であることは特別な事では無かったので、謙信が女性であっても城主に成えた
     
  11. 後に徳川幕府が制定した「武家諸法度」より女性の城主を禁じることが決められたため、過去のことでも女性が城主であったことがばれると徳川幕府に藩を取り潰されかねないことを恐れ謙信を男性とする工作が家臣によって行われた形跡がある。
    教科書などに出てくる髭の自画像は謙信が死んでずっと後の江戸時代に家臣が書かせたもので謙信が命じたものではない。
    謙信が書かせた自画像はほとんど無いのだが、残っているのは木盃に書かれた柔和で女性的なものである。
    また、その当時「盃」とは女性を指す隠し言葉だったそうだ。

私には、半信半疑だがすごく「そうなのかなあ」と納得されそうな理由である。

長々と書いてきたが、この「女性説」どう思われるだろうか?
好奇心と興味がひかれ面白いものであり、非常に他人の意見が聞きたくなる説である 

|

« [〒ゆうゆう窓口]の廃止!? | トップページ | 男性の30パーセント »

コメント

へえ~そうなんだ~。
知りたがり屋のnanaさんとしましては、早速本屋さんに行ってそれらしき書物探して来ましょうかね。
結果が、男性で有っても、女性で有ってもこの辺で歴史の見直しも面白いかも知れませんね。(o^^o)。

投稿: nanami | 2007年2月19日 (月) 14:42

その時代に生きていた人はいないので、考証したり推察したりするしかないけれど、謙信の女性説は初めて聞きました。戦国期の武将と言えば武田信玄とこの上杉謙信を思いますが、川中島に対峙して激戦をいくたびか繰り返している事を思うと疑いもなく男だと思っていました。だって童名は虎千代、元服して景虎でしょ。これも世を憚る名前?ただ、新潟の林泉寺の謙信の画像や山形の上杉神社の胴服である紅地に染め抜かれた雪持柳の文様の豪華な衣装を見ると女性的な感じはします。潔癖な性格で磊落な信玄とは好対照だったみたいですね。歴史上の人物をいろいろ想像してみると楽しいですね。

投稿: ミッチ | 2007年2月19日 (月) 16:13

そう言えば今回の大河では、女性かと見まがうほど
美形のGacktが謙信に扮しますね。 
なかなか登場しないので待ち遠しいです。

投稿: 山桜 | 2007年2月19日 (月) 17:27

)nanamiさん

最初にこの説を書いたのが誰でしたか・・?
本が出版されていることは確かです
 
 
)ミッチさん

元服して政虎、そして輝虎、影虎、出家して謙信ですね。
その「政虎」が一番地元では親しまれ「政虎」転じて「まんとら」そして「まんとら様」と、生涯言われたそうです。
「まん」が女性を表す「政所(まんどころ)様」の「政」と「政虎」の「政」と同意義ではないか?ゆえに女性では?
という説も有るそうです。
 
 
)山桜さん

謙信はいつも何かに取り付かれた感じに演出されますよね
役者もそんな感じを出せる人選をしている気がします
 

投稿: 玉井人 | 2007年2月19日 (月) 22:20

こんにちは~。

同じ話題のブログだったので、失礼ながらTBさせていただきました~。

見てきた人がいない限り、どんな荒唐無稽な推理も100%ありえない事ではない・・・歴史はそこがおもしろいんですよね。

謙信=女説は、光秀=天海説と同じくらい興味をそそられます~。

投稿: indoor-mama | 2007年2月20日 (火) 12:15

)inndoor-mamaさん

ようこそいらっしゃいました。
このタイトルの記事は意外と多くの人が公開してるので驚いています。

投稿: 玉井人 | 2007年2月20日 (火) 13:52

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 上杉謙信は女性だった?・・・!:

» 上杉謙信・女説 [今日は何の日?徒然日記]
享禄三年(1530年)1月21日は、あの名将・上杉謙信のお誕生日・・・て事で、今 [続きを読む]

受信: 2007年2月20日 (火) 11:57

« [〒ゆうゆう窓口]の廃止!? | トップページ | 男性の30パーセント »