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2007年5月22日 (火曜日)

愛知立てこもり事件、報道について

愛知の立てこもり事件についてパート2の記事である。

報道では、警察の事件解決についてありとあらゆる角度から警察OB、SATのOB、またその関連専門と言う人たちが分析や批判意見を述べている。

おおむねのマスコミは、時間のかかりすぎSAT隊員の林警部殉職の結果から愛知県警への批判が占めるようである
見ていた私も、実際に人質がいなくなってからの対応の遅さ、最初に撃たれた警察官救助の遅さ、SATがまったく動かない様子、それらを見ていて「警察官が殺されたのになぜ撃たない」と首をかしげたのは間違いない事実である。

しかし、現場にいて犯人と向き合っていた命がけの警察官たち当事者になってようく考えてみたらどうだろうか?
そんなに批判されることばかりだろうか?
むしろ、批判は警察じゃなく、事件を起こしたこの大林容疑者の方により多く行くべきではないだろうか?

もしであるが撃たれた警察官が助け出され、林隊員が撃たれその後に突入命令が出たとすればである。
間違いなく犯人の大林容疑者はSAT隊員によって撃たれ、死亡しなくても重症を負い、人質の女性も撃たれていた、かもしれない。
あせった大林容疑者も狂ったように拳銃を乱射するだろうからもっと警察官に犠牲者が出ていたことが起きた、かもしれない。

ただ、これだけは確信がもてることがある。

もしもあの時、犯人を撃ち殺すなどの事件解決(強行突破)をしたときのマスメディアの報道、それは今の批判報道だなど比べ物にならないくらいのすごさで
警察の強行解決」について、批判、批判、批判、批判報道でまくし立て騒ぎ立てることは間違いない行動であることだ。

昨日のテレビ朝日、朝の報道番組のコメンテーターの一人がテレビ朝日の報道の仕方などについて言った言葉が印象に残った。

最善の解決を目指し、われわれが知らない現場のいろいろな状況下でやっていた警察官に対し、
その詳しい様子を知らないのに批判するのはやめた方がいいとおもいますよ。
結果だけ見て、あれやこれや言ってるだけでしょう。
そういう報道はやめた方が良いですよ。

テレビ朝日の若いアナウンサーは非常に困った顔をして他のコメンテーターに話しを振ったのが印象的だった。

あの時テレビを見ていた人たちに「あんなやつ撃ち殺せばいいんだ」という思いがほとんどの人の頭によぎったことだろう
しかし、正当な理由があるにしろ、人一人狙って撃ち殺す行為が警察官だってどんな思いが残るか、命令を出す上官がどんな思いになるか、私には想像がつかない。

私たちも、絶対拳銃の弾なんか飛んでこないテレビ画面を見て勝手な思いになっているのはどこか「対岸の火事」てきなところはなかったろうか?
そんな思いを抱かせられたこのコメンテーターの言葉だった。「どうですか?」

次の記事に続く
https://iwasironokuni.cocolog-nifty.com/komiti/2007/05/post_5b42.html

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コメント

私も非難されるべきは
警察の対応以上に大林容疑者であると思います
それと
警察が中々突入できない(発砲できない)理由の1つは
日頃のマスコミの報道にその一因もあると思います
警察官の拳銃発射について異常なまでの日頃の報道姿勢が警察幹部が突入や射殺命令を出しづらくもしているのではないでしょうか?
もし今回、早い時点で突入し犯人を射殺していたら
マスコミは
動機の解明、拳銃の入手ルートの解明が困難になったと今回とは違った非難をしていたと思いますよ
テレビのコメンテーターは
「粘り強く説得をするべきだった」なんて他人事のように批判する発言をしていたのでは?
あの時、大林容疑者が何発の銃弾を持っていたのかも
あるいは別の武器を持っていたのかもはっきりせず
周りの住宅には大勢の人がいたわけで
突入時の警察官の人命や
まわりの住宅の人命の安全を考えての作戦がベストのはずだと思います
林警部の命を奪った大林容疑者こそ一番非難されるべきだと思います

投稿: カー助 | 2007年5月22日 (火曜日) 15:17

)カー助さん

まったく私が言わんとした事と同じです。その通りだと思います。

本文にも書きましたが強行突破しての解決だったら、今より輪をかけて非難したことは間違いないと思います。

警察のミス探しをして非難ばかりするのが、被害者に対しての良い報道だと勘違いしているマスコミの傲慢ともいえる報道は考え物だと思いますね。

投稿: 玉井人 | 2007年5月22日 (火曜日) 17:54

同感です。
大半の人間は悪口が好きですからね。

投稿: hide | 2007年5月22日 (火曜日) 18:51

)hideさん

その悪口もマスコミによって誘導されては余計本質が見えなくなりますね

投稿: 玉井人 | 2007年5月22日 (火曜日) 19:54

いや~まったくですね~
それにしても犯人は、射撃の名手?
なんてことは無いでしょうが・・・

投稿: もうぞう | 2007年5月22日 (火曜日) 20:31

)もうぞうさん

狙って当たるところじゃないから、かえって偶然の不幸になったんでしょうね

投稿: 玉井人 | 2007年5月22日 (火曜日) 20:57

今回のような事件には常にいく通りもの解決方法が存在するわけで、“玉井人さん”の仰るとおり現場では自分達の命を的にして最良と思われる作戦を実行します。しかしながら、そこには予測不可能な事態も常に存在し、残念ながらその作戦の結果が不幸にして警察側、犯人側いずれか、または双方に犠牲を伴う結果になってしまうこともあることでしょう。そのとき、自分の身は絶対の安全圏に置いて結果を見てからあれこれ批判するのですから何とでも言えます。あの時点ではこうすべきだったなどと、俗にいう“結果論”がマスコミそのものです。そして大方の人々はテレビ、新聞の報道を無条件で正しいものだと信じてしまいます。しかし、当ブログに意見を述べられている方々のようにそのマスコミの報道さえも見極める目をわたし達は養わなくてはならないのでしょうね。でも、みんながそういう視点でものごとを考えることが出来るのであれば、この世の中はとっくに素晴らしい世の中になっているはずなんですけれど・・・。

投稿: koji | 2007年5月23日 (水曜日) 02:43

)kojiさん

そうなんです。結果論なんですよね。
ただ昔から「終わりよければ全て良し」と言う考えも根強いのも事実ですね

投稿: 玉井人 | 2007年5月23日 (水曜日) 08:48

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