「割り箸」は「鰻屋さん」の発明?!
土用の丑の日に鰻を食べるとして「うな丼」が店頭ではよく売れる昨今、その説には諸説ある。
- 江戸中期時代(1700年代)の学者平賀源内氏が夏の暑い盛りに暑い鰻が売れないので考案したという説(これが有名)
- 夏の暑いときに江戸時代のある大名に鰻屋が蒲焼を注文され夏に大量に作るので悪くならないように日にちを決めて作り置をしたら「土用の丑の日」に作ったのだけがなぜか傷みがなかったので、それが江戸中のうなぎやに食あたりが無いと広まった。
以上の二つが一番よく言われることだが、実際にうなぎが夏の食べ物として全国に広がるのはこのころよりもっと遅くなる。
その話の中心人物として、登場するのが「大久保今助」という人物である。
この方水戸藩出身(今の茨城県北部)で江戸堺町(現在の人形町)に住いし芝居小屋などを運営する江戸ではかなり名の売れた大人物なのであった。
この人物どんな文献にも調べると「うな丼の発案者」と出てくる。
しかし、そのうな丼のでき方には大きく二通りの説に分かれるから面白い。
この人物の出身地で茨城県の牛久沼は「うな丼発祥の地」という看板があり、鰻屋が国道沿いに並んでいる。
<牛久沼での説>
大久保今助という鰻好きの人物が水戸へ戻る際、川の渡し場で鰻と飯を注文したところ時間より渡し舟が来てしまいあわてた今助は店主に断りどんぶりのご飯に皿ごと鰻を伏せて乗せて対岸についてから食べたらいい具合においしかったことからその店に丼飯に鰻を乗せるものを作るように頼んだのが始まりである。<江戸堺町の説>
江戸の堺町に住む大久保今助という鰻好きの人物はいつも芝居小屋の仕事先に出前を頼んでいた。そのころの鰻は冷めないように鰻に暖めた糠をまぶして届けられていたため食べるときに糠を取るのが大変だし冷めておいしくなかった。そこで今助が、ご飯の間に鰻を挟んで届けさせることを考案したのが始まり。(熱いご飯を店まで持参して買い求めたという説もある)
どちらが本当かはわからないが、人物に関しては共通である。
そしておもしろいのが、ご飯の上に鰻を乗せる<牛久沼説>のは関東風うな丼、ご飯の中に鰻を挟み込む<堺町説>のは関西風うな丼の「うなめし」として現在も分かれて存在しているのは何かを意味しているかのようだ。
そしてこのうな丼のために考案されて、必ずつけられたのが「竹製の割り箸」である。竹割り箸はうな丼と対で販売され大流行したそうである。
つまり、土用の丑の日に鰻を食べる習慣と割り箸は「大久保今助」によって全国に広められたといっても過言ではない。
ついでだが、現在のような木の割り箸はそれよりず~と後の時代の明治10年に奈良県吉野郡下市町で寺子屋教師を生業にしていた「島本忠雄」という人物が吉野杉の特長を生かして売り出したものである。
まさか鰻から割り箸が全国に広まっていったとは、考えもしなかったことで驚きのことであった。
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コメント
割り箸は、味わいがありますね。
環境問題にも、それほど影響がなさそうですので、安心して使ってもよさそうです。
特に国産品は。
わが家でも、これから鰻を食べるときには、割り箸を使うことにします。(笑)
竹箸ではなくスギの天削箸ですが。。
投稿: ぜん | 2007年8月 6日 20:09
)ぜんさん
割り箸は日本人が作った世界最初の食器のような気がしませんか?
そうなると、ギネスに登録できますかね
(^^ゞ
投稿: 玉井人 | 2007年8月 6日 20:14
割り箸のことではありませんが、土用鰻の平賀源内起源説は出鱈目です。「出鱈目な土用鰻の起源説」と検索して御覧下さい
投稿: milk3 | 2021年1月31日 09:23
>milk3さんへ
古い記事にコメントありがとうございます。
こういう話は、すべて「諸説あり」となっているように、それが本当かどうかは、初めから解っていないのが当然です。
逆を言えば、それが出鱈目だという証も存在していませんので、それほど真義をつくすようなことも無いように思います
投稿: 玉井人ひろた | 2021年1月31日 17:26