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2007年8月31日 (金)

書籍「奥州二本松藩年表」を読む

奥州二本松藩年表」という本、あまり本のことは記事にしない(多分始めて)私だがこれは書かずにいられない実に面白い本を見つけた。(地元の人以外は興味が無いかもしれない

この本の著者は福島県本宮市出身で郡山市在住の「菅野 与(すげのしげる)氏」で自分の資料的本として70歳の誕生にあわせ「歴史春秋出版社(会津若松市)」から出版された本である。

年代は永禄七年(1564)~明治二年(1869)、つまり二本松城主が畠山氏から始まり伊達藩に攻略されその後幕府直轄領、そして初代二本松藩主丹羽光重氏~(最後の)丹羽長国氏までの時の流れが書かれてある。

その内容は旧二本松藩に代々住み暮らしている旧家に残された庶民が自分で見て聞いて記録したのをまとめたもので年表と言うより、町人や村人の日誌、日記である。

難しい文章が多いのだが、その時代の小さな事件や地名、人物が現代にも共通しているので地元の人間にとっては近所の爺さんの昔話を聞いているような感覚が起きてくる。

しかし、その文章内容には驚かされるものばかりである。

 

まず二本松藩の地図である。二本松藩は<渋川組、八丁目組、小浜組、杉田組、玉井組、糠沢組、本宮組、片平組、郡山組、大槻組>の11組に区切られそれぞれに代官、名主を置いていた。
その位置関係がすごく現在の地名に当てはめると、北は福島市水原、南は郡山市笹川、東は川俣町山木屋、西は郡山市湖南町船津(猪苗代湖々畔)までに及ぶのだ。
現在の郡山市は阿武隈川から西の全部が二本松藩だったようである。

 

わが地域と言うと、頻繁に玉井組(二本松市永田~大玉村小姓内)、本宮組(本宮市本宮~郡山市の中山峠、石筵)、苗代村(本宮市岩根)、仁井田村などの名が出てくる。

 

それらを統治する代官、名主、の移動が非常に多いことにびっくりした。今の転勤族の比ではないくらい頻繁に代わっているのである。
それに、「・・村名主、強欲非道につき罷免」、「・・村名主、鞭打ち30回後追放」という記述が少なくないところを見るとその名主職も厳しく管理監視されていたようである。

 

戊辰戦争の記述には、、若い母親が生んだばかりのわが子を抱きながら逃げるとちゅう撃ち殺されたことに皆が悲しんだこと、戦闘と同時に村人たちの暴動が起こり名主や役所が襲われ金品が奪われ焼き討ちされたこと、本宮宿ことごとく焼き討ちにあい地獄絵が広がり家族と途方にくれたこと、馬や食料を強制されて困ったこと、・・・

 

それらあまりにも生々しい様子が記されてあり衝撃的であった。

 

まだ読み続けているが、読み返すとまた新たな記述を発見したりと私には非常に面白くたまらない一冊となってしまった。

 

 

 

 

 

 

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コメント

玉井人さん左上のアクセス10万突破しているじゃないですか。すごいです。私玉井人さんの小さななにげないこの「つぶやき」がだい好きです。どうかいついつまでもがんばってください。

投稿: 阿武さんのゆきあたりばったり | 2007年8月31日 (金) 20:44

)阿武さん

ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします

投稿: 玉井人 | 2007年8月31日 (金) 21:44

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