« これは飲めないだろう | トップページ | 意外と知らない県内企業 »

2007年8月11日

昭和20年8月11日歴史的文書が完成した

西暦1945年の今日、<昭和20年8月11日(土)>曜日まで同じこの日に歴史的文章が完成した。

偶然だろうか?昭和20年と今年はカレンダーがまったく同じである。

その文章は「耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び・・」で知られる「終戦詔書」である
この全文を知っている人はまずいないだろう。その当時ほとんどの人が言っている内容を理解できなかったその文章を改めて掲載したくなったので興味のある方は読んでみていただきたい。

本当に、何を言わんとしているか理解できない難しい日本語に驚くはずである。
そして、たしかに戦争があったことを心に刻んでほしいものである

終戦の詔書 

ちん=天皇の自称深く世界の体勢と帝国の現状とに鑑み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲ほっし茲ここに忠良ちゅうりょうなる爾なんじ臣民しんみん=天皇制の下での国民に告ぐ 

朕は帝国政府をして米英支し=中国そ=ソ連四国しこくに対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり

抑々そもそも=物事の最初 起こり もともと帝国臣民の康寧こうねい=やすらかなことを図り万邦ばんぽう=あらゆる国共栄の楽たのしみを偕ともにするは皇祖皇宗こうそこうそう=天照大神に始まる天皇歴代の祖先の遺範にして朕の拳々けんけん()かざる所曩さきに米英二国に宣戦せる所以も亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき=こい願うこと)するに出て他国の主権を排し領土を侵す如きは固(もと)より朕が志にあらず然しかるに交戦すでに四歳しさいを閲(けみ)し朕が陸海将兵の勇戦朕か百僚有司(ひゃくりょうゆうし=多くの官僚)の励精れいせい朕か一億衆庶しゅうしょ=庶民の奉公各々最善を尽くせるに拘かかわらず戦局を必ずしも好転せず世界の大勢亦また我に利あらず加之しかのみならず敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻しきりに無辜むこを殺傷し惨害の及ぶ所真しんに測るべからざるに至る而しかも尚交戦を継続せむか終(つい)に我が民族の滅亡を招来するのみならず延ひいて人類の文明をも破却はきゃくすべし斯()くの如くむは朕何を以てか億兆の赤子せきし=天皇を親に見立てた人民の称を保し皇祖皇宗の神霊に謝せむや是れ朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり

朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し遺憾の意を表せざるを得ず帝国臣民にして戦陣に死し職域に殉じ非命に斃たおれたる者及びその遺族に想いを致せば五内ごだい=五臓→心臓、肝臓、肺臓、腎臓、脾臓為に裂く且戦傷を負い災禍さいかを蒙こうむり家業を失いたる者の厚生に至りては朕の深く軫念(しんねん=天子の御心)する処なり惟おもうに今後帝国の受くべき苦難は固(もと)より尋常じんじょうにあらず爾臣民の衷情(ちゅうじょう=うそいつわりのない心)も朕善く之を知る然れども朕は時運の趨(おもむ)くところ堪え難がたきを堪え忍しのび難きを忍び以て万世ばんせいの為に太平を開かんと欲す

朕は茲に国体を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠せきせい= 少しのうそいつわりもない心に信倚(しんい=信頼)し常に爾臣民と共に在り若し夫()れ情の激する所濫に事端じたん=事件の端緒を滋(しげ)ふやし或いは同胞排擠(はいせい= 他をおしのけたりおとしいれたりすること)互いに時局を亂り為に大道を誤り信義を世界に失うか如きは朕最も之を戒(いまし)む宜(よろ)しく挙国一家子孫相伝え確かたく神州の不滅を信じ任重くして道遠きを念ひ総力を将来の建設に傾け道義を篤あつくし志操(しそう=かたく守って変えない志)を鞏(かた)くし誓って国体の精華せいか=立派な点を発揚し世界の進運に後れざらむことを期すべし爾臣民其れ克()く朕が意を体せよ  

  御名御璽 裕仁=ヒロヒト=昭和天皇の名前

上記の原文は下記URLで確認できます。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/syuusenosyou.htm

誤解
昭和20年8月15日を日本では<終戦日>としているが、
国際法の終戦日は<昭和27年(1952)4月27日>である。

| |

« これは飲めないだろう | トップページ | 意外と知らない県内企業 »

コメント

こんばんわ。
わぁ~、それにしても、長い文章ですね。
でも、この結果が「終戦記念日」へ結び付いたんですね。

投稿: H.K | 2007年8月12日 00:57

よ、読めん!
読んでも、意味が分からん!
当時はこれを、
雑音まじりのラジオで聞いたんですね。

投稿: こやなぎ名人 | 2007年8月12日 03:56

)H.Kさん

こんな長い文章とは思わなかったですよね
 
 
)こやなぎ名人

原文はかなはふってないし、平仮名でなくカタカナですからね。
ほとんど読めません(まったく読めない)

投稿: 玉井人 | 2007年8月12日 07:06

終戦の日
暑い屋外で多くの方が頭をたれておられた光景とつながっているものですね・・・
なかにはこの放送を聴かれて涙を流して居られた方もあったと言うことを年配の方からきいたことがあります。

平和に感謝!二度と戦争が無いことを願っています!

投稿: Racexp | 2007年8月12日 08:25

)Racexpさん

理解して泣いていた人はごく一部のようで、天皇の声が流れたことに泣いていたようですね。
あのレコードは軍部に見つからないように録音された2枚のうちのできの良いほうだそうです

投稿: 玉井人 | 2007年8月12日 09:07

初めてじっくりよみました。解読したというべきかもしれません。こんな難解な文章にした事にも、ゴマカシがあるような・・・しかし、無条件降伏なんですね。やっぱり・・・・日本がアメリカに占領されたと言う事は、結果的には良かったのでしょう。ソ連に占領されていたら国民全員が捕虜になって、北朝鮮や、東欧みたいになっていたでしょうから。

投稿: 山口ももり | 2007年8月12日 10:55

)山口ももりさん

難解ですが、天皇の文書としてはこれが普通のようです。
会津藩が持っていた東軍への勅命もこんな感じだったそうですが、西軍の持っていた明治天皇のは口語に近いものでの幕府討伐が書かれ、天皇が書くはずがない文章として有名です。
日本は無条件降伏にはならなかったというのが専門家の意見ですね。
理由は、天皇は残されたし、日本政府もそのまま存続し機能していたのが実際のようです。無条件といったほうが国内改革がやりやすかったようですね。
無条件はドイツだけのようですよ。

投稿: 玉井人 | 2007年8月12日 15:09

こんにちは、玉井人さん。
うーーーーーん。
こやなぎ名人さんではありませんが、読めない!
読んでも意味が分からない!!と言うのが正直な
感想です。
これを当時雑音交じりのラジオで日本国民皆が聞いた
そうですが、わたしがたとえそこに居ても意味が
分からなかったでしょう。
少し前の玉井人さんの記事で、合衆国では原爆
使用は大正解と50歳以下の人達には教えられて
いるという玉井人さんの記事へのわたしの
コメントへのお返しのコメントも読みました。
沢山書いて下さってありがとうございました。
わたしは、あまり新聞も本も読む方ではないし、
学生の時にも、何も第2次世界大戦について
正確なことは教わっていません。
第2次世界大戦は何故起こり、何故終わり、何故
今の世の中があるか、正確なことは知りません。
そして、この終戦の詔書を全文自分の力で読んだ
のは初めてです。
もちろん誰かに全文読んで貰ったこともありません。
この戦争は日本にとって無条件に近い形で終わって
いるけれども、無条件でもなかったなんて、さっぱり
分かりません。
本当のことを知っている人はほとんどわたしの
周りいた人は、何も話さなかったし、もう居なく
なりつつあります。
わたしの父でさえ、この終戦の詔書を全文正しく
理解していたか分かりません。
ただ、戦争はもう要らないと、そう心に刻みたい
です。
何の理由があっても、戦争はいい解決方法とは
思えません。

投稿: 浜辺の月 | 2007年8月13日 14:41

)浜辺の月さん

この意味なんかわかる人はまず、一握りだったでしょうからしょうがないと思います。
まるで外国語に近いですよね。
でも「赤子(せきし)=日本国民の意」くらいは普通に使っていたのでわかるようですよ。
戦争は絶対起こしてはいけないですね。我が家も私が生まれる前、祖父と叔父二人をこの戦争でなくしているので実感しています。

投稿: 玉井人 | 2007年8月13日 16:02

nanamiです。
小学(国民学校)2年生でした。暑い日でした。
戦争に負けたと言うことだけは、解ってましたが
天皇陛下様のお声がラジオから流れて来たときは、
(ラジオ1台に、部落の10軒位の人が、集まって来ていた)みんな泣きました。みんなが泣いているので私もつられて泣きました。
ラジオからは、こんな難しい言葉が流れていたのですね~。

投稿: nanami | 2007年8月13日 20:43

)nanamiさん

天皇の声は、そのとき史上初めて人民の前に流れたわけですからそれで皆さん泣いていたのかもしれませんよ
言葉、理解できないですよね

投稿: 玉井人 | 2007年8月13日 21:16

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 昭和20年8月11日歴史的文書が完成した:

« これは飲めないだろう | トップページ | 意外と知らない県内企業 »