かつて炭焼きが盛んだった里山
倒れている木はすべて立ち枯れした松、杉の針葉樹である。その太さは30センチ前後、高さ10メートルほどのに育ったものばかりだ。
「人工的に植林されたのは弱い」「間伐など人間が手入れしなくちゃだめだ」と思う人がいるかもしれない。
しかし、この倒れているのは種が落ちて自然に生えたものなのである。
正確に言うと10年前まではこんなに倒木は無かった。
全国では「カシナガ」という虫が楢の木を枯らす被害が深刻になっているそうだ。
これは炭焼きが盛んだったころは計画的かつきれいに刈られて広葉樹が育ちすぎることが無く、虫も繁殖が抑えられていたからだそうだ。
わが里山も人が入らなくなったことが影響しているのだろうか?
木漏れ日を浴び、まるで「墓標」のように立ち枯れている松の巨木、
この巨木がすべての原因を知っているかのようだ。
皆さんは、これが「森の荒廃が進んでいる」と見るだろうか?
わたしはそうは思わない。無駄な大きな針葉樹を枯らし倒し、その土地に合った木だけにしている。
山が自分の力で自然を作り変え、新しい自然体系を作ろうとしているように見えて仕方が無い
すぐそばで山藤のものすごいツルに締め付けられながらも力強く枝葉を広げる広葉樹がすさまじい姿で立っていた。
針葉樹ならここまで絡まれたらとっくに枯れている。
あと何十年か後、ここの里山の森に残っている木は何が残っているのだろうか。
どんな姿になっていることだろうか・・
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コメント
色々な見方があるようですが、松の立ち枯れは全国的に問題になっているようです。
当山梨県でもあちこちの山で松が枯れています。
また植物の種類を保つには適度な間伐と下草狩りが必要らしく、薪炭を使わなくなった今、林床が暗くなって日本特有のラン類がおびやかされているとも。
放置すれば多分一番強い種が生き残った極相林になっていくことでしょう。
何が正しく何がいけないのか、愚かな人間にはわかりません。
自然保護は難しい問題だと思います。
投稿: 秋ぎつね | 2007年11月 9日 (金曜日) 19:09
私の実家でも、かつては炭焼をしていました。
炭焼窯も、全く見かけなくなりました。
なるほどねえ、そういう見方もできますね。
自然とはバランスが取れるように、それ自体変化していくのですね。
人間が環境破壊をしていることも、大きな流れで言えば、ある意味、「自然」と言えるのかもしれない。
こんなへんてこりんなことを考えているチエちゃんでした。
投稿: チエちゃん | 2007年11月 9日 (金曜日) 20:56
)秋ぎつねさん
松の立ち枯れは、ここの場合風通しが悪く湿気で腐ったものです。
他県のは松くい虫が{減少}したため(松は松くい虫が死滅すると枯れる)だと思います。
どっちにしても下草や雑木を増やさないことが大事です。
)チエちゃん
その考えは変ではないと思います。
一度人の手が入った森は一生手入れをすることになりますが、別な言い方をすれば本来の自然に戻っていくともいえますからね
投稿: 玉井人 | 2007年11月 9日 (金曜日) 21:04