菩提寺にて、身の震える思い
今日は我が屋の菩提寺で今年最後の檀家総代と各地区代表世話人による「檀信徒先祖回向」それに「献膳米奉納回向祈祷」と言うのが行われたため地区代表としていってまいりました。
がらんとした本堂はさすがに寒くて(ストーブが二つ)、身の引き締まる思いより俗人の私には身の震える思いのほうが強かったです。
そこで、今回は菩提寺で見つけた言葉を掲載します(ちょっと阿武蜂虎蔵さんの影響かな?)
「飯を食う」 のではなくて 「ご飯をいただきます」です
そしてもう一つ
この世にいのちを授かった
母がいることの幸いなこと
父もいることの幸いのこと
そして先祖がいることは
さらに、さらに幸いなことであります
いかが思いますか?これらの言葉・・
| 固定リンク | 0
コメント
「いのち」をいただいて生きている。
全くその通りなんですが、つい忘れそうになります。
個人的には殺生は大嫌いなんです。
そのせいでは無いかも知れませんが、魚釣りも嫌いです。
投稿: もうぞう | 2007年12月22日 (土曜日) 20:12
こんばんわ。
・「文章」を読んで。
良い言葉ですね。
その一言に尽きます。
投稿: H.K | 2007年12月22日 (土曜日) 21:25
自分を大切にするということは、こういうことなのですね。
投稿: ぜん | 2007年12月22日 (土曜日) 22:31
)もうぞうさん
「いただきます」の意味を感じるだけですばらしいことだと思います
)H.Kさん
そのとおりですね
)ぜんさん
さすがですねえ、そこまでの考えにはいきませんでした
投稿: 玉井人 | 2007年12月22日 (土曜日) 22:43
いただきますというのは、自分が生きるために他のものの命をいただくという事だと教わった事があります。
そして先祖、両親がいるという事は自分が何者かわかるという事、普段何とも思わずに過ごしていても、何かの折にこういう言葉に触れて思い出すというのはとても良い事なのではないでしょうか。
投稿: 秋ぎつね | 2007年12月23日 (日曜日) 08:39
)秋ぎつねさん
何気ないことですが、意外と忘れがちなこういうことって普段から意識してみるのもよいですね
投稿: 玉井人 | 2007年12月23日 (日曜日) 09:57
良い言葉なのでしょう~。
忘れがちですが、ふと振り返ったときに
思うことが有りますので、多少、人の心
の持ち合わせが、私にも有るのかな?と・・・。
投稿: nanami | 2007年12月23日 (日曜日) 13:56
たまにはこのようなありがたい説法に
触れることもいいですね。
俗世に生きていると忘れがちですから^^;
投稿: hide | 2007年12月23日 (日曜日) 18:32
)nanamiさん
十分お持ちですよ
)hideさん
正確に言えば忘れているのではなく、そこまで気が行かないでしょうね
投稿: 玉井人 | 2007年12月23日 (日曜日) 20:02