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2008年2月18日 (月曜日)

越後のちりめん問屋の隠居で光右衛門

地区にもよるでしょうが月曜の夜の番組といえば「水戸黄門」を見るのが私の楽しみになっています。

悪代官「お前たちは何者じゃ!」
黄門様「はい、わたしは越後のちりめん問屋の隠居で光右衛門と申します」

悪代官「なに~!そのような田舎じじ~のぶんざいが来るところでないわ・・・下がれ~」

毎回出てくる台詞でおなじみですが、ここで時代劇ファンとしては「どうなんだろう?」考えてしまうところがあるわけです

  1. なぜ黄門様は仮の名を「越後のちりめん問屋の隠居・・」としているのだろうか?
  2. それはいつから決まったのだろうか?使っているのだろうか?
  3. 旅の途中で越後に行ったときはどう名乗ったろうか?
  4. 越後新潟を毎回ど田舎者として言う侮蔑した台詞に新潟県人から抗議は無いのだろうか?
  5. 言葉に越後訛りどころか、水戸訛りも無いのはおかしいのでは?だいたい越後ではちりめんじゃなく「ちぢみ」て言うんじゃないですか?(福島県も同じ呼び方)

今回、このような疑問を検索しているうちに「水戸黄門研究家」などと称する皆さんたくさんいて実に良く調べているサイトあることを知ることになりました

水戸黄門とは年齢が30代の若さであること、この時代に大金持ちしか飲めないお茶が道端で売られているはずが無いことなど時代背景や事実と全く違うところが多いのは私も良く知っています。葵の家紋もテレビでだす印籠の三つ葉葵は「水戸葵」ではなく「徳川葵」なので間違っています。が、それはそれとしてテレビ内だけの疑問の答えはこうなりました

1、2
東野英治郎さんのときに越後を訪れたときそこに黄門様そっくり(二役)嫌われ者だった「ちりめん問屋の隠居、三右衛門」と間違われひどい目に遭います。そのときに「どうせだからこれからは越後のちりめん問屋の隠居の光右衛門名乗ることにしましょうか、あっはっはっは」となったようです。


元々は「わしはただの旅の隠居です」と言っていましたので、越後に行ったときはそう言っていたんですが、回が進むと「丹後のちりめん問屋の隠居」などと名乗っているようですね


これはさすがに憤慨している書き込みやブログなどのサイトがありました、やはり怒っている新潟県の方がおられるようですが、だいたいは寛容なようです


この時代の藩主の子供らはすべて江戸で生まれ育って元服か藩主になるまで江戸から離れませんので言葉は江戸言葉です。これは実際にあわせているのと、ドラマ的には共通語の方がいいですからね。そのために訛りが無いわけで、ここだけ事実にあっているようですね。

1番、についてはおもしろい説があります。
国会図書館にある資料で「1680年版完全芸能人名鑑」と言うのがあるそうで、そこに書かれている江戸時代に実際にあった「旅芸人一座」の座名一覧、があります。

尾張のきしめん問屋の隠居」、
讃岐のふとめん問屋の隠居」、
長崎ののりめん問屋の隠居」、
若狭のかりめん問屋の隠居」、
メリケンのXめん問屋の隠居」、
越後のちりめん問屋の隠居」などです。

この時代の旅芸人の一座ってこんな名前をつけていたんですね。
筆者は水戸黄門様ご一行を「旅芸人一座」とすれば、うっかり八兵衛(今は新助)や出国が難しかった女のお銀がいて全国を自由に漫遊が可能なのでおかしくないというのです。

少なからずや江戸時代に作られた「水戸黄門漫遊記」にもこれらの影響が出ている場面があって今の形になっているのかもしれませんね。

これは非常におもしろい発想で感心してしまいました。
そんなことを言ったら「控えおろう~」て言われそうですね

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コメント

おもしろいですね~
越後人は一般に寛容なんですよ。はぁははは・・・

投稿: もうぞう | 2008年2月18日 (月曜日) 16:50

)もうぞうさん

最後のどんでん返しがあるので、いいのかもしれませんね

投稿: 玉井人 | 2008年2月18日 (月曜日) 19:45

水戸黄門は好きなので午後の再放送も含めて良く見ています。

「娯楽」時代劇なのであまり細かい時代考証はしても仕方ないのかも知れませんね。
4は越後の...隠居だからではなくて、単に風采を見て田舎爺と言っているのだと思っていました。
まあ現代物を含めて訛りや方言は「らしく」見せる程度のようです。
以前箱根へ行った時に関所見物をしましたが、旅芸人は手形が要らなかったようですね。TVでは時々旅芸人を助けていますが。

面白い話題をありがとうございました。

投稿: 秋ぎつね | 2008年2月18日 (月曜日) 21:16

)秋ぎつねさん

時代劇は本当の歴史と照らし合わせて楽しむ方法と、フェクションのおもしろさと、両方楽しめるところが私は好きなんですねえ

投稿: 玉井人 | 2008年2月18日 (月曜日) 22:46

黄門さまは、好きで以前にはよく見ていました。
最後には絶対に勝者になるので、安心して見てられました♪
しかし、この物語が原型は江戸時代に作られたというのは知りませんでした。
随分と無知でした。。。(^_^;)
しかし、新潟の方はやはりあんまりおもしろくはないでしょうね~!
また為になる知識を仕入れさせていただきました♪

投稿: コデマリ | 2008年2月18日 (月曜日) 22:49

)コデマリさん

正確に話していたのは講談師などで今の原型は幕府の権力が落ちてきた幕末のようです。
徳川御三家の話なんて本来芝居になどできなかったはずですからね

投稿: 玉井人 | 2008年2月19日 (火曜日) 08:00

ははは・・ちっとも気がつかなかったっけど、そりゃあ、気が悪いですよね。京都でも、ドラマには京都弁が良く出てきますが、ドラマの京言葉って、ガッカリすること多いんですよ。大阪弁とは全然ちがうんです。それって、結構イヤなんです。いろんな方のコメントもとても面白かったです。

投稿: 山口ももり | 2008年2月20日 (水曜日) 09:55

)山口ももりさん

地元のものにとって方言とは、違和感がありますよね。
ただたまにうまい俳優さんがいるんですよね。あれは感心します

投稿: 玉井人 | 2008年2月20日 (水曜日) 16:07

祖父が大ファンでしたので、子供の頃からよく見ていました。
最近は全然なのですが、現在の黄門様役は里見浩太朗さんでよいのかな?
私は、やっぱり一番最初に見た月形龍之介さんが、忘れられません。
時代劇もこうして、疑問を持って見るとおもしろいですね。
そういえば、玉井人さんは鬼平のファンでしたね?
私も、大好きです。

投稿: チエちゃん | 2008年2月20日 (水曜日) 20:29

)チエちゃん

月形龍之介は原型ですね。助さん格さんより黄門様のほうが強かった。
今のも良いですよ

投稿: 玉井人 | 2008年2月20日 (水曜日) 22:14

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