「天の恵み」への感謝
先日、鯨の遺体が発見された報道がなされていましたね。何が原因なのか非常にかわいそうでした。
私の子供のころ嵐の次の日の海には魚やいろんなものが打ち上げられたのを海沿いの人々は「天の恵み」として海へ感謝してそれらをみんなで分けるのが当たり前だったと思います。
私のように内陸に住むものは嵐の次の日、フォトのような景色が庭先に広がっていまして、その落とされた杉の枯葉や小枝は風呂や竈(かまど)の最高の焚き付け燃料になる「天の恵み」として拾い集めたものでした。
自然と共存する人々にとってこれはごく自然の営みだったはずです。
そしてそれらの恵みを神に感謝して生活することがまた次の「天の恵み」をもたらすと信じていました
その行為の良し悪しは別として、昔から農業漁業にこだわらず日本人にはそんな考え方があったと思います。
動物愛護、自然保護、それらについて今の考え方と昔の考えの良い所だけを融合できないものでしょうかねぇ。
見方によってはお叱りを受けるデリケートなことなので記事にすることを躊躇しましたが思い切って記事にしてみました。
ご理解してもらえるでしょうか・・不安です。
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コメント
本当に人間だけが、自然を好きなようにもてあそんでいます。今にこんな事してたらって・・・ずうーっと思ってきましたが・・・・どうしたら???最近、はっきり自然のバランスの壊れが表面化してきました。どうなるのでしょう。
投稿: 山口ももり | 2008年2月 8日 (金曜日) 08:59
感謝の念というのは大切ですね。
何事にも感謝していると、自分の気持ちも軽くなったり良くなったりするものです。
ところが、若いときにはそんな考えを持てず、それが当然のように思ってしまう…。
特に私の子供の頃と違って日本人全体が裕福になった時代に育った方々は「望めば与えられる」のが当たり前と思っているのではないかと感じることがよくあります。
「モンスター」と呼ばれ、学校の教師を悩ます親御さんもその一例ではないかと。
年を経ないと分からないことって沢山ありますね。
投稿: がんさん@大和の国 | 2008年2月 8日 (金曜日) 09:30
こんにちは、玉井人さん。
天の恵みの考え、悪くないとわたしも思います。
感謝の気持ちを持ちながら、嵐の後の海岸の
打ち上げられた魚など食したら絶対悪いと決め
付けるのもどうかと思いますが・・・・・。
もちろん、要らない殺傷はしない方がいい
でしょうが。
投稿: 浜辺の月 | 2008年2月 8日 (金曜日) 10:12
)山口ももりさん
農耕をするようになってから、緑の景色は人口のものになりましたが、天と大地からの恵みは授かり物と謙虚でしたような気がしますね
)がんさん
天からの恵みは、別な形としてすべてまた返す。それが当然のようだったのが、返さなくても作り出せるようになったとき感謝の意味が薄れたんだと思います
)浜辺の月さん
記事にはできませんでしたが、周りの先輩たちはもっと過激な「天の恵み説」と唱えています
それを記事にしなかったので核心が見難い文章かもしれませんがなんとなく「こんなことかな?」と判っていただいたようですね
投稿: 玉井人 | 2008年2月 8日 (金曜日) 15:25
そうなんですよ。
感謝の心が足りませんね。
私も反省しなくては・・・
投稿: もうぞう | 2008年2月 8日 (金曜日) 20:13
)もうぞうさん
その気持ちがあるというのは感謝の気持ちがあると思いますよ
投稿: 玉井人 | 2008年2月 8日 (金曜日) 20:49
天の恵み、なんと良い響きでしょうか。
今の人間は感謝の気持ちを忘れ、驕り高ぶっている気がします。
人間は自らは何も作り出せない、全て与えられた物であることを理解していない。
動物愛護は可愛がることと同義ではありません。
自然保護は自然のためではありません。
「自然に優しい」この言葉は嫌いです。これでは人間が自然に対する保護者気取りではありませんか。自然を軽んじたそのつけは人間がかぶると言うこと、どうしてわかろうとしないのでしょう。
投稿: 秋ぎつね | 2008年2月 8日 (金曜日) 21:05
)秋ぎつねさん
>人間が自然に対する保護者気取り
昨日民主党の国会議員が別のことで同じことを言っていたのを思い出しました
今度記事にしたいと思います
投稿: 玉井人 | 2008年2月 9日 (土曜日) 08:23