親の思い、子のこころ、そして旅立ち
その子供には生まれながらの障害がありまして両親は心配しながら育ててきました
年老いた母親は病に倒れ長い闘病生活を余儀なくされた中でも「この子を置いては心配で死なれない」と動かぬ体でわが子を思い続けていたのです
その子が今朝の新聞に載っていました「OO日永眠・・」 わたしの小学生からの同級生です
障害があっても明るいやつでした 親より先に逝く事(逆縁)は最も辛い親不孝だとわたしは考えている者です
でも、行く末を心配して、心配して、心配して生きてきた両親 特に寝たきりの母親にとってそれはどうなのでしょうか、当事者しか知りえませんが・・・
亡くなると判るのです「どんな形でも生きていてほしかった]」と、しかしこの場合それはどうなのでしょうか・・・
・・・どうなのでしょうか・・・どうなのでしょうか・・
| 固定リンク | 0
コメント
本当に身内にしかわからないことですね
同じ年代で 年老いた親を見送って
内心ほっとした と言う人と 一年たってもまだ悲しいときがあるという人と・・・介護の差はあれ
生があるかがぎり 一緒に生きていくということですよね
死んで初めて 思い出しては後悔ばかりです
早春 子孝行な 父が旅立ちました・・・大往生
投稿: aonami | 2008年3月28日 (金曜日) 12:55
私も見かけは普通ですが不治の病を得ていて、母より先に逝くことだけは避けたいと願っております。
がしかし、全ては神の思し召し。
というか、いかに努力しても抗えない「運命」の存在も感じます。
順番通りなら母が先ですが、どちらが逝っても残された者は悲しい思いをします。
が、それも運命。
できるだけ「やりたいことを全部やって、面白い人生だった」と思いたいし、「あのときああしてやれば良かった…」と思うことの無いようにしたいと思っております。
投稿: がんさん@大和の国 | 2008年3月28日 (金曜日) 15:48
)aonamiさん
わたしも父親を見送った経験から言いますと、後から親の思いや考えていたことがあちこちから見つかって「そうだったのか」と考え込んだことがたくさんありました
)がんさん
そうなんですか・・それはなんと言っていいか言葉が浮かびません
わたしも「おもしろい人生」とはいかなくても「おれなら、こんなものでしょう」くらいは望みたいですね
投稿: 玉井人 | 2008年3月28日 (金曜日) 18:17
なんとも切ない話ですね。
幸せとは何か?永遠の問題だと思います。
投稿: もうぞう | 2008年3月28日 (金曜日) 19:37
)もうぞうさん
そうなんですね、言える事は「親子や家族のことは他人にとやかく言えない」ということだと思います
投稿: 玉井人 | 2008年3月28日 (金曜日) 22:13
玉井人さんに初コメントでドキドキします。
また難しい問いかけです。「この子を置いては心配で死なれない」、「どんな形でも生きていてほしかった」はひょっとして親が子に対して求めているというエゴからの空しさなのかもしれません。
「障害があっても明く人に接することが出来ている」ところから、その子供がどんな状態にしても、本人は多くの人に支えながらまた多くの人の役目になりながら生かされていることを知っていたのではないでしょうか。私は障害者のその人はとてもすばらしい人じゃないかと感じました。
障害者だからこそ健常者と違ったすばらしい人生観を持てるとしたら健常者の哀れみはひょっとして勝手な偏見なのかもしれませんね。
投稿: ばんきん屋の夫 | 2008年3月29日 (土曜日) 07:05
)ばんきん屋の夫さん
気楽にどうぞ
良く言われることだと思いますが、それほど人って強くなく大きな器は持っていないのが正直なところだと思います
「哀れみはおっしゃるとおりですね。どちらかといえば「無意識な差別」に近いと思いますね
投稿: 玉井人 | 2008年3月29日 (土曜日) 09:01