相手によって侮辱言葉の「冥福を祈る」
葬儀などのご不幸に際し「ご冥福を祈ります」という言葉、ほとんどの人が使うと思いますよね
これって遺族の方にとって良い常識ある言葉だと私は思っていました
ただ、キリスト教など外国の宗教、国内なら神道など仏教以外の信仰者には使ってもいいものかは少し迷いがありました
それでも「ご冥福・・・」は言っても差し支えないものと考えていました
しかし、それは大きな間違いで非常識なことだと知りました
- キリスト教など外国宗教には使用しません
- 仏教でも「浄土真宗」は冥福を祈りません
- 日本神道でも使用されません
上記のところの信者、特に浄土真宗に「ご冥福を祈る・・」を使うことは個人や遺族を侮辱するに等しく失礼になるんだそうです
冥途という概念が無いキリスト教なども同じですが、こういう場合に宗教や宗派を問わずず使えるのは
「お悔やみ申し上げます」
という言い方だだそうです
知ってましたか?
古代仏教では人は死後49日間「冥土(冥途)」をさ迷い50日目に裁きを受け生前の行いによって六つの世界のいずれかで生まれ変わると信じられていました
https://iwasironokuni.cocolog-nifty.com/komiti/2008/04/post_da29.html
その迷い歩く冥土からなるべく良い世界に転生(生まれ変わり)がなされ福なることを祈るというのが「冥福を祈る」の意味だそうです
ところが親鸞聖人(見真大師)が唱えた浄土真宗では冥土は存在せず「人は亡くなると全ての人が浄土(極楽)に戻る(浄土で転生する)」という教えになっているため「冥土で迷う」ということが無いというのです
だから、「迷わず極楽浄土にいかれた仏様に冥福を祈ることはしませんし、それは浄土に行かれたと信じているご遺族にとって侮辱に当たります」というのです。
冥土が存在しないキリスト教などの外国宗教も同じ理由が適用されるようです
こういう場合「謹んで哀悼の意を・・・」「お悲しみをお察し・・」とか冥土省くものにするのが良いようですがちょっとそれでは「社交辞令的」にも感じますし難しい・・・
意味も知らず簡単に使っていた「ご冥福を祈ります」、失礼していたのかもしれないといまさら変な汗が出てきた次第です
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コメント
それは知りませんでした。
こういった言葉は難しいですね。
自分としましてはまず心、次いで言葉だと思っているのですが、やはり言葉の間違いというものは避けなければいけないと思いますし。
振り返ってみますと、うちは浄土真宗なので「ご冥福...」は使ったこと無かった気がします。
貴重な記事ありがとうございました。
投稿: 秋ぎつね | 2008年4月10日 16:09
)秋ぎつねさん
当事者でしたか、そちらの著名な和尚さんが法話を記事にしていましたのを見て知りました
宗派を事前に聞くべきでしょうね
投稿: 玉井人 | 2008年4月10日 16:25
TVなどでもよく使われているように思いますけどね~
また1つ利口になりました。
ありがとうございます。
投稿: もうぞう | 2008年4月10日 19:34
)もうぞうさん
簡単に「冥福」の意味を見ていたら見つけた法話でした
「冥福を祈りません」の言葉は衝撃的でしたね
投稿: 玉井人 | 2008年4月10日 19:52
これはよいご忠告をお受けいたしました。このように本当の意味を理解しないまま、現在に至っておりましたが、『ご冥福をお祈り申し上げます』と直接口に出して言うことは無かったように記憶していますが、弔電の電文などには無かったのかな、などと考えておりました。
投稿: koji | 2008年4月10日 20:04
)kojiさん
弔電は定型文ですから、言ってしまうことになるかもしれませんが信徒の方も知らない方が多いようですし、あまり厳しくはないと思いましょう
投稿: 玉井人 | 2008年4月10日 20:12
[冥福を祈る」ってそんなに難しい言葉だったのですか。ちっとも知らなかったなあ!!!キリスト教徒は神に召されるんですものね。日本の宗教の中でもそんなに、難しいのならイスラム教ではどうなるのでしょう???
投稿: 山口ももり | 2008年4月14日 14:36
)山口ももりさん
イスラムも亡くなると迷わず「アッラーの神」の元に行きますので冥福を祈るのは余計なお世話かもしれませんね。
不幸のときのご挨拶と思えばなんでもないようです
投稿: 玉井人 | 2008年4月14日 18:05
うちも浄土真宗ですが、親鸞の教義ではたしかにそうですね。
そのほか、死は穢れではないので、葬儀から帰って塩をかける、など不要だといいます。
1名一向宗、そんなこと「いっこうに構わんでもいい」という宗派だと、子供の頃聞きました。
投稿: ましま | 2011年12月10日 11:19
ましまさんへ
清めの塩は神仏一体だったころの名残慣習で「神道」の儀式です。
ですから、本来の仏教からすれば誤った行為なのですが、日本の慣習からすればそれも一概に誤りだとは言い難いことになります
投稿: 玉井人ひろた | 2011年12月10日 12:21