「人の最後は・・」と考えた
先日参列した葬儀、故人はよくわたしが見知ったやつでした。その最後の様子を知りいろいろな思いが浮かび複雑な悲しい気持ちになりました
想像できるでしょうか?わが兄弟や親が部屋を真っ赤な鮮血で染めた血の海の中に息絶えているのを目にしたときの自分の気持ちです
自らの手で自分の体に刃物をつきたてていたことを目にしたときの自分の気持ちです
亡くなったやつのことより、穏やかに参列者に接する喪主の心の中「そんなに思いつめていたのか?」「なぜ言わなかった・・」その思いが伝わるような気がしてやるせない気持ちでわたしは喪主のほうを見ていました
また、「あいつも最近笑った顔を見たことが無かった」と故人のことも思い出したりもしていました
古代仏教で、人は死んだ日から50日目に「輪廻転生(りんねてんしょう)」といって必ず次の・・
穏やかで長寿の道=天道(天上界)、今と同じ=人間道、戦い争いばかりの世界=修羅道、自由と危険が隣り合わせ=畜生道、飢えと渇きが耐えない=餓鬼道、鬼たちにいじめられる=地獄道
いわゆる「六道(ろくどう・りくどう)」といわれる六つの道のいずれかで生まれ変わるのだそうです
徳を積んだ人はさらに別の世界「極楽(浄土)」にいけます
しかし、どうしても煩悩に支配され悟りを得ようとしない人は極楽と表裏一体として存在する光の無い世界「魔」に行き着くといわれます
現世で言う「修羅の死に方」をしたあいつはいずれの道に行かされるのでしょうか
修羅の人生だったのに最後も修羅になってしまったあいつに、体に障害があったあいつに、せめて畜生道の自由を与えてもらいたいような気がします
六道すべてを行き来できるのは「地蔵菩薩(ぢぞうぼさつ)様」だけなんだそうです
近くの御地蔵様に手でも合わせましょうか 少しでも良い道に生まれ変わりますようにと・・・ついでにわが亡き父も
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