「秋葉原」←なんと読む?
なんとも残忍な事件が起きました「秋葉原」ですが、この漢字をなんと読むでしょう
それは当然「あきはばら」に決まってますよね
さて、これが明治初期のまだ江戸っ子気質が強い東京府東京市(現在の東京都)の人々が言ったらどうなるでしょう。先日の事件を瓦版風にやって見ます
「殺しだ、殺しがあったぞ~」
「どこで、あったんでぇ~?」
「あきばっぱら(秋葉原)だってよ~」
「あきばごんげん(秋葉権現)がるあきばはらのとこかい」
私は東北人なので、まあ大体こんなところでしょうかね()・・・秋葉原の呼び方違いますよね
まだ江戸時代の考えが支配する明治2年(1869)この近くの相生町(千代田区神田相生町)に大火災が発生しその直そばに火余け地(建物などを無くして類焼を防いだり避難所にする空き地)を設け次の年にはこの場所には「鎮火神社」が祀られたので、「鎮火原(ちんかはら)」と地元の神田や浅草の人々は呼んでいたそうですただそこの地名が「秋葉」だったため、いつしか祀られた「鎮火神社」を人々が、遠州(静岡県)から火災からの守り神「秋葉大権現(あきばだいごんげん)」を分祀してきて「鎮火神社(ちんかじんじゃ)」を建立(こんりゅう)したと思い込んでしまったらしいいのです。
そこで神社はその後その神社は「秋葉神社(あきばじんじゃ)」という名称に変更されました。
そのため、現在は台東区松が谷に移築されている‘この秋葉神社’は静岡に有る秋葉神社とは無関係で、秋葉権現を祀ったものでは無いそうです。
いずれにしても、地元の人たちは「秋葉神社(あきばじんじゃ)」がある「原っぱ」なので、こう呼ぶようになりました。
「あきばっぱら」または「あきばはら」
そのためこの住所の地名は「秋葉原(あきばはら)」となったそうなのです
そして時は移り東京となった江戸の町はすごいスピードで近代化が進み、明治23年(1890)この秋葉原に鉄道が通され駅が設けられたのでした。
駅名は当然地名を取って「秋葉原駅」となりましたがここで手違いかわざとか間違いが起こります。
駅名の「秋葉原」の漢字を看板に平仮名で記載する時に「あきはばら」となってしまったのです。これが全国に広まり「秋葉原」は「あきばはら」じゃなく「あきはばら」で広まって定着してしまいました。
地元の神田や浅草に昔から住んでいるお年寄りなどには未だに本来の呼び名「あきばはら」と言う方がいるそうですよ(たしか北野武さんの両親は言っていたとか)。
そういえば福島県から宮城県まで流れる「阿武隈川(あぶくまがわ)」は明治のころまでは「大隈川(おおくまがわ)」と言っていようです。
たいした問題じゃなかったのでこうなってしまったのでしょうが、面白いですよ、地名の謂われはね
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