あなたのお正月は武士流か、町人流かな
皆さんは大晦日からお正月の三が日をどう過ごされたでしょうか?私の場合大晦日は夕方お酒を飲んで6時ごろからズ~と「格闘技番組」を見てそれから年越しそばを食べ風呂に入って、日付が変わったところで神棚に新年のお水を献じてから寝ました。
よく元旦は近くの鎮守神にお参りをして、あとは親戚が年始に来たのもあり新年会から始まり食っちゃ寝で過ぎてしまいました。
そういうことをしていると、「昔の人はどうしていたのか?」と考えが浮かぶわけです。
江戸時代、世界最大の町の一つ江戸、そこにくらす人々はほんのちょっと今とは違っていたようです。
町人は・・・
江戸町人の大晦日は近くのお寺や神社で行われる「豆まき」に出かけ、日が暮れて完全な日没になるころ(現在の31日午後7~9時ごろ)恵方詣(えほうもうで)をし、そして新年のお祝い宴会が明け方まで続き元旦の朝は起きられず、一日中寝ていたそうです。
記録によれば元旦の江戸の町はすべての家が雨戸を閉め通りには人影は無く、犬が寝ているだけ、それはまるで無人の廃墟のような街にったんだとか・・・
つまり江戸の町は完全な「寝正月元旦」の様相で、街中は閑散とした正月元旦だったようです。
ところが・・・武士は大変なのです。
武士は初詣どころじゃなく大晦日に早く寝て元旦にはお城に登城し年賀の挨拶をしなければなかったため紋付袴などを調え粗相のないように振舞わなければならなかったようです。
時代劇の正月元旦の華やかさはまったくの「嘘、うそ」ですね
あれは仕事始めになる2日からで、そこからは店や商売が始まりにぎやかになっていくようです
良いことか悪いことか分かりませんが現在はこのように「全国一斉休業日」というのは無くなりましたね。
というわけで、これで行けば、ほぼ寝正月の我が家は「町人流」の正月だったようです。胃が・・・
ただ、時代が過ぎ幕末には、「恵方詣」は元日未明の行事に変わり、現在の「初詣」の原型が出来上がったと言われます。
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コメント
以前、友人が家に残されていたご先祖様の、明治期の呉服商の娘の日記を解読して本にした事がありました。町人のお正月、と言うより大晦日は、そりゃあ、大変だったようです。掛取り、集金、帳場の〆、家の仕事一切、家中のものの、髪の毛を結い上げて・・・お正月はわりと遊びに出かけたようでしたが・・・もう、殆ど忘れてしまいました。武士は・・・知りませんでした。
投稿: 山口ももり | 2009年1月 4日 15:09
)山口ももりさん
地域によってや職業、神仏分離令が出された明治、などかなり違うようですが江戸の町の1日は一斉完全休業日だったようです。
ただ2日からは仕事始めでにぎやかになるようですよ。
わが地域は7日まで大騒ぎの正月でしたようです。
投稿: 玉井人 | 2009年1月 4日 15:29