江戸の町の3月節句のころ
3月の節句のころというのは長崎の出島に住むオランダ人の代表が将軍に定期挨拶に来ることになっていたそうです。
長崎屋はそのオランダ大使の窓口になっていたため必ずここに寄ってから江戸城に行くのが通例になっていたそうです。
そのため、江戸町民がここに立ち寄るオランダ人を一目でも見ようと長崎屋に殺到したのだそうです。
今では信じられない、鎖国日本の姿がそこにあったんですね。長崎屋も儲けたでしょうね
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3月の節句のころというのは長崎の出島に住むオランダ人の代表が将軍に定期挨拶に来ることになっていたそうです。
長崎屋はそのオランダ大使の窓口になっていたため必ずここに寄ってから江戸城に行くのが通例になっていたそうです。
そのため、江戸町民がここに立ち寄るオランダ人を一目でも見ようと長崎屋に殺到したのだそうです。
今では信じられない、鎖国日本の姿がそこにあったんですね。長崎屋も儲けたでしょうね
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コメント
当時は旧暦だったのでしょう?
ということは、今年なら3月29日でしょうかね~
投稿: もうぞう | 2009年3月 3日 18:07
)もうぞうさん
桜が満開だったそうですから、そのころでしょうね
投稿: 玉井人 | 2009年3月 3日 19:45
「長崎屋」って言うカステラのお店が京都にあったんですけど、もう、大分前につぶれたようです。先日「フォン・シシホルトの娘」吉村昭を読み終えたばかりで、イメージが膨らみました。長崎と江戸・・・中々みやびな文化もあったのでしょうね。
投稿: 山口ももり | 2009年3月 4日 08:03
)山口ももりさん
それはそれは大変雅でめったに見られない外国文化ですから物見高い江戸っ子の話題をさらっていたことでしょうね
ただ、裏を返せば外国貿易交流禁止(鎖国)という法のもと徳川幕府だけが自由に外国貿易をしていたという、今で言う「独占禁止法違反」がそこに有りますよね
投稿: 玉井人 | 2009年3月 4日 08:34