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2009年6月11日

「お疲れさま」と「ご苦労さま」の言葉の成り立ち

「お疲れ様」と「ご苦労さま」の使い分けと言うのは各方面でいろいろな人が語っているものですね。
一般的には「コンサルタント」とか「マナー指導員」とか“礼儀のプロ”と言われる方々(輩)が言うことが正しいとされています。

<プロの近代マナー指導> 

 「ご苦労さま」は上司などが部下などのに‘労い(ねぎらい)’の言葉として使用するものなのです。

‘時代劇を見ても「ご苦労」と言っているのは殿さまや高い人が家来や町人に言っているでしょ。’ですから目上の人に「ご苦労さま」はダメですよ。

目上の人に使うと上司を見下したことになり失礼に当たりますので注意してください。
 目上の人(または同僚)に使う場合は「お疲れさま」と言う言葉を使用するのがマナーです

 つまり、こういう風に使い分けてください
「ご苦労さま」=目⇒目
「お疲れさま」=目⇒目上(誰にでも使えるオールマイティー)

このマナーは企業などを中心に一般的になっていますし、私もその通りだと思っていました。

ところが、このプロが指導するマナーには確かな根拠が無いし、大きな勘違いが有ることが分りました

「労い」とは本来目上のものが下の者に行うもので、「労いの言葉」そのものが目下の者は使わない、使ってはいけないことなのです。目下の者が口にするのは「気遣い」の言葉となります。

ですから、人によっては「お疲れさま」も「ご苦労さま」も目上には使ってはいけないと言いますし、部下などに使われることを嫌がる人も少なくないようです。

そこでご苦労さまとお疲れさまの言葉そのものを調べてみました

<ご苦労さま>

    1. 他人の苦労を敬った言葉「御苦労」に「様」を付け加え、さらに丁寧にした語。あるいはその行動に対し皮肉を込めて言う語。(大辞林
    2. 徒弟制度が厳しい江戸時代のころ主に芝居役者師弟の間で使っていた言葉がち一般の町人達にも広がったとされる。
    3. 江戸時代のころ町人の間では目上目下(師弟)に関係なく、公的役目または仕事を成し遂げた時に使用されていたものらしい。

<お疲れさま>

    1. 仕事などの疲れを労うときに使う語。仕事を終えて帰る人への挨拶の言葉としても用いる(大辞林
    2. 幕府が大政奉還し新政府ができ文明開化が始まった明治時代ごろから言われ始めた言い方で、比較的に日本の言葉としては新しい。それがどこからきた言葉なのかははっきりしないが、茶道などで弟子が師匠に対して今でも使われる「お疲れの出ませんように」の言葉が関連している可能性がある

このことから分かるように、「御苦労様」の言葉を目上目下などと使い分けをすることが元々日本には無かったことになります。

古い(20年以上前)時代劇では町人が身分の高い武士に対していう言葉は「御苦労様でございました」と言ったりしていますから、こちらは時代背景を反映しています。

それに、マナーのプロの方がほとんど言う“『時代劇で殿さまがご苦労・・・』”ですが、これは時代劇を見ている人は解りますが「」です。

そもそも殿様が家来にたいし使う労いの言葉とは、「大義であった」または「大義(たいぎ)」という言葉です。

マナーのプロが言うのは、茶道界の師が弟子に「御苦労様」で、弟子が師匠に「お疲れの出ませんように」という慣習を基にしたのかもしれません。

しいて言えば、今一般化しているこの言葉の使い分けは礼儀作法を商売にした方の創作した“新マナー。勘違いマナー”とでも呼ぶべき気がします。

しかし、この使い分けはもうすでに一般的になっていますからどうしようもないことでもあります。
ですから、目上と言われる立場になった人が下の者から「御苦労様」と言われても(知ったかぶりして)怒らず、寛容さを見せることですね(でも、目上には「御苦労様でした」または「御苦労様でございました」にするのは当然です)。

本質からいけば間違ってはいないのですからね。

あるサイトで亡くなられた俳優「緒形拳さん(通称‘おがたけん’だが本人いわく‘おがたこぶし’が正しい読み方)」が生前仕事を終えられ帰るときにスタッフや仲間の方たちに「お疲れさま、お疲れさまでした」と声をかけられて返した言葉は・・・

お疲れの出ませんように」と言う、茶道で使われる(謙った気遣いの)挨拶言葉で返すのが常だったそうです。

つまり、お疲れ=肉体的疲労へのねぎらい、ご苦労=主に精神的疲労へのねぎらいという区別になると思います。

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コメント

お疲れさまとご苦労様の使い分けについては、お説の通り。
でもなんかシックリ来ないと思っていました。
いまさらしょうがないのでしょうね~
でも時代と共に変わっていく可能性もありますよね。

投稿: もうぞう | 2009年6月11日 19:04

)もうぞうさん

変わっていくことでしょうが、目くじら立てて怒るようなことはしないようにしたいと思います

投稿: 玉井人ひろた | 2009年6月11日 20:15

私は「よろしいですか」と尋ねたときに「よろしいですよ」と返事を受けると カチン と来るのですが、このカチンも根拠なきものなんでしょうか。

投稿: 朝霧 圭太 | 2009年6月12日 09:30

) 朝霧 圭太さん

その気持ち分かります。同じ言葉で返されるのってどこか「小馬鹿にされた」印象を受けますよね。カチンとくるのはそれだと思います。
出来るなら「よろしいですか?」の返答は「はい、どうぞ」とか「はい、結構ですよ」と言う風なのが好い感じですかね

投稿: 玉井人ひろた | 2009年6月12日 20:12

う・う・・・ん・・・あんまり気をつけなかったなあ・・・
人が帰るとき、「気をつけて帰ってね」とは云うなあ

投稿: 山口ももり | 2009年6月16日 08:17

)山口ももりさん

徒弟制度や身分制度が厳格だった江戸時代とは少し考えが変わってもいいはずなのですが、マナー商売の方は少し違う方向になっているのかもしれません

投稿: 玉井人ひろた | 2009年6月16日 08:55

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