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2009年7月30日 (木)

今から・・26年前だったのか

ちょっと記念日のサイトを見たら、26年前の昭和61年(1986)のきょう7月30日は東北自動車道(浦和~青森)が全線開通した記念日だったのです。

東北自動車道は障害や反対もなくすんなり全線の工事が進んだわけではありませんでした。

成田空港反対闘争のように農家がスクラムを組みむしろバタを掲げ工事反対を叫び反対闘争をした地域が有り、その様子は時々全国テレビ放送でも紹介されていました。
反対理由は「自動車道の明かりなどによって稲作に多大な影響が出る」と、いうものでした。

その大反対した場所それは⇒「福島県安達郡大玉村(ふくしまけんあだちぐんおおたまむら)の大山地区」です。
つまり、私の住んでいる村なんですよね・・{

26年以上も経った今、そんなことをやっていた方たちもご高齢になり同じ村民でも知らない人や忘れている方の方が多くなりました。

大反対した方達のご家族、今は何もなかったかのようにETCとか利用しています。のど元過ぎれば熱さを忘れる、の故事通りの展開です

裏話を言えば、本気で反対していたのは極少数で、その他の人は「頼まれたから参加していた」という人が多かったのです。
私の近所にも運動に参加した人がいたんですが、テレビに映ったその人の顔はニコニコ顔で・・場違いの顔に母などは大笑いだったそうです。

今となっては、笑い話です。

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コメント

東北自動車道も何度か利用させてもらいましたが、そんなこともあったのですね…。
余所のもめ事には無関心というのは、私も同じのようです。
その反対されていた方々、本心からそう信じて反対されていたのでしょうか…?
それとも何か裏の利害が…?
と勘ぐってしまうのも悪い癖です…。

投稿: がんさん@大和の国 | 2009年7月30日 (木) 12:34

)がんさん

当時、反対運動を応援していたのは農協だったはずです。
夜中じゅう明るいライトが照らされれば稲の発育に影響が有ることは確かだったはずですが、出来てみたらさほど影響が無かったんですよね

投稿: 玉井人ひろた | 2009年7月30日 (木) 19:24

当地では関越道も上越新幹線も比較的近くを通ってますが、光・明るさ問題より、高架による日陰の問題が大きかったように記憶してますが。

投稿: もうぞう | 2009年7月31日 (金) 05:11

う・うーん・・・政治的に利用されたのでしょうか???仕掛けた人は???今は???
 私は子供の頃育った園部町は駅が町から遠く、それで発展が遅れたと聞いています。汽車の火の粉で火事になったり、煙で農作物がだめになるっていう反対派のせいなんですって。今、町は大きな道が必要以上に増えて、道だらけ。良い田んぼを営々と作ってきたご先祖様たちに申し訳ない!!!町長とか、議員とかに、土建屋や不動産屋を選んだから、彼らの仕事を増やした結果に違い有りません。どうして、こんなことになってしまったのか???日本中で道や宅地やパチンコ屋やガレージや・・・増えています。利権構造なのでしょう。

投稿: 山口ももり | 2009年7月31日 (金) 09:13

)もうぞうさん

都市部の住宅地などを通る場合、高架工事がなされますので、そうでしょうね。
わが村の場合は稲作の一等優良地を潰しての工事でしたから高架工事は無かったんです。
この稲作地帯の真ん中を通ったのはわが村くらいであとは山沿いなんですよ。そのへんも反対理由だったのでしょう
 
 
)山口ももりさん

私が住む地域もそうです。
東北本線と磐越西線の交わる駅、いわば福島県のかなめとなる駅に隣の本宮市が選ばれたのですが「火のこが藁に移ると火災になる」ということで大反対され、そのころ比較的人家が少なかった郡山市にその交差する駅が建設されました。
その結果、郡山市は今県下最大級の人口の都市へと急発展を遂げてしまいました。
それが良かったのかどうかはさらに年数がかかるでしょうね

投稿: 玉井人ひろた | 2009年7月31日 (金) 09:52

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