尊敬と敬意は自然に湧き上がるのが最高
昔し昔のおお昔、中国では国を治める手段の一つとしてその日の吉凶を占ってもらう習慣があり、それを生業とする占い師が何人もいたそうです。
その占い師を「日者(にちしゃ)」と呼び役人たちは高名な日者をだいじにしていたようです。
あるときその中でも高名だとされる日者、名を「司馬季主(しばきしゅ)」と名乗る人物に役人が会い話を聞いているうちに、その役人たちはその見識の高い話に冠のひもを結び直し、服装を整え、姿勢をを正し、尊敬と敬意を表わさずにいられなくなった
このことが語源になって出来たのが「襟を正す」という言葉だとか。
ならば・・
- 日本の政治家は襟を正して国民に目を向けているでしょうか?
- 国民が思わず襟を正したくなる政治家は何人いるでしょうか?
- 有権者が自然に襟を正したくなる立候補者が自分の選挙区に出ているでしょうか?
吹けば飛ぶような、まるでレジ袋のようなマニフェストなんかを語っている候補者には何か拒絶する手立てはないものでしょうか?
そういう法案を出す国会議員が出たら、ちょっと襟を正してしまうかもしれない
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コメント
本当にそうですね。
昨日から裁判官に関する本を読んでいましたが、裁判官という人種の堕落も激しいようです。
しかし、人の目のゴミはよく気がつくもの。
政治家も官僚も庶民の私たちの姿を写しているだけのことなのかもしれません。
人の振り見て我が身を・・・
日本に住む我々全員が反省するべきなのではとも思ったりもします。
投稿: キサラキ | 2009年7月11日 (土曜日) 09:52
)キサラキさん
コメントありがとうございます。そちらのブログも興味ある記事ばかりでした
政治家を選んだのは我々だというところもしっかり加味しなければならないですよね。
投稿: 玉井人ひろた | 2009年7月11日 (土曜日) 11:20
こんばんわ。
・「襟を正す」を読んで。
最近の政治家は、どの人も「襟を正す」気持ちが、なっていませんね。
何となく、頼りなさそうな雰囲気を持ってて、困りますね。
投稿: H.K | 2009年7月11日 (土曜日) 22:18
政治家の演説を聞いて感動したのは一回だけ、昔道知事選に出たときの、五十嵐広三氏のものです。とにかく美しい夢を語っていて、ミケランジェロの頃のフィレンツェ市民になったような気がしました。
今は報道も芸能ゴシップのように政局の話題ばかり、まじめな政策は見えてきません。皆がまじめに普通に理想を語らなければ政治も変わらないかもしれません。
投稿: joy | 2009年7月11日 (土曜日) 22:26
)H.Kさん
そのようですね。おしゃれセンスは良いようですが、それでは政治家の意味がない
)joiさん
コメントありがとうございます
五十嵐広三氏というのはわたしは存じ上げませんが、聞いてみたいものですね
投稿: 玉井人ひろた | 2009年7月11日 (土曜日) 23:12