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2009年8月17日 (月)

昭和20年8月17日日本軍の“極秘救助作戦”

西暦1945年昭和20年のことです。
このころすでに日本が劣勢になっていた第二次世界大戦、元々開戦反対で停戦を考え始めていた東条英機前内閣(57歳)は劣勢の責任を取らされる形で1年前の昭和19年7月に政界から排除されて、
昭和20年には鈴木貫太郎(77歳位)42代内閣になっていました。

そしてこの鈴木内閣の時の8月15日には天皇によって停戦宣言がなされたのでした。
8月16日には鈴木内閣総辞職、同時に日本全軍に向け「停戦命令」が発令されます。
そして、8月の17日には43代東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣が発足します。

まさにその17日、大本営の密命を受けた一機の軍用機が岐阜県各務原飛行場を飛び立つのです

飛行機は、アメリカのB-27に匹敵する日本陸軍が誇る大型の三菱キ67 4式重爆撃機「飛龍」
乗務員は陸軍第七飛行部隊の中から選ばれた佐藤中尉を隊長他5名のクルー、そのうち一人は日本統治時代の台湾・高雄で生まれ志願して宇都宮飛行学校で訓練を受け、昭和十九年末に幹部候補の航空士として爆撃機搭乗の任務についていた台湾人、邱錦春さんという方もいたそうです。

行先はソウル、ピョンヤン、特命任務は満州国皇帝、愛新覚羅溥儀の救援だったのです。

しかし、敗戦国の日本の飛行機である爆撃機の主翼の「日の丸」や尾翼の所属部隊記号は塗りつぶされて、クルーたちは「戦死したら、犬死になる。靖国神社に祭られないのではないか」という思いを抱きながら飛んで行ったそうです。

敗戦のため無線使用もままならぬなかで、目視と天測だけで当時の京城(ソウル)に飛び、さらに平壌に向かい作戦に参加するも、ソ連軍に愛新覚羅溥儀はすでに捕えられてしまったため作戦失敗になり帰国するのでした。

釜山上空から日本海を横切り、若狭湾から陸地に入り、二十一日の夕方に各務原に無事着陸したとき台湾人乗組員の邱錦春さんは敗戦を迎えてからずっとこらえてきた涙があふれてきたそうです。

15~17日までの混乱期、すごい人たちがいたんですねえ

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コメント

いつも、玉井人さんの記事やコメントには、新鮮な驚きをいただいています。今日の記事は全然知らないことでした。西南戦争や戊辰戦争の時のレイプの話は聞いたことがありました。薩摩を攻めた官軍には、その時の恨みに燃えた会津の兵隊が多くいたんだそうですね。「どうせ、百姓の寄せ集め」ってあざ笑ってた西郷軍は、そのあまりの激しい戦意に負けたんだと聞いています。

投稿: 山口ももり | 2009年8月19日 (水) 08:40

)山口ももりさん

戊辰のときはその女性たちのほとんどが江戸の遊郭に売られ軍資金に変えられましたのでもっと悲惨ですね

投稿: 玉井人ひろた | 2009年8月19日 (水) 19:23

それはますます酷い。若い女性って言うのも、戦争時には悲しい生き物です。今の若い女性は、まるで・・・あれはあれでちょっとおかしい。

投稿: 山口ももり | 2009年8月20日 (木) 09:13

)山口ももりさん

あれはマスコミに取り上げられている極一部の人だけだと思っています

投稿: 玉井人ひろた | 2009年8月20日 (木) 19:08

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