「二本松と羊羹」のちょっと物語・・一つ、二つ
羊羹て好きですか?わたしは好きなんです、特に小豆だけ使用のオーソドックスのが大好きですね
甘くておいしい日本のお菓子の一つですが「羊羹」という漢字は似合わない気がしませんか?
羊(ひつじ)はどこに関係しているのでしょう・・「かん」の文字は「甘」の文字じゃなく難しい「羹」の、文字である意味はなんでしょう・・?
「羊羹」とは中国では「羊、豚、鶏などと野菜を煮込んだ、つまり肉汁・吸い物」のことだそうでお菓子なんかじゃありません。その証拠に「羹」←の文字は「あつ(熱い)もの」と読み、熱い汁物のことをいいます
中国には小豆と砂糖を使った甘い「蒸し餅」が有ります。
それは赤黒い小豆色と丸い形が“羊の肝(肝臓)”に似ていることから「羊肝餅・羊肝糕」という名前だそうです。
その羊肝と羊羹が同じ発音なので誤用されたようです
さて話変わって、福島県には江戸時代からの名物「二本松羊羹」というのが有ります。
そして、この二本松羊羹には面白いお話が存在します。
時は幕末に近い江戸時代後期、二本松藩亀谷町池ノ谷入口に湯屋(現在の銭湯)を営む「四代目安斎茂兵衛」なる人物が住まいしていた。
この四代目安斎茂兵衛が後にこの湯屋を辞め饅頭屋を始め、屋号を「玉屋」と称した。玉屋で売られる饅頭類はとても美味しく繁盛し、その評判は二本松藩主丹羽氏の耳にも届くことになる。
二本松藩主丹羽氏はその息子五代目安斎茂兵衛に「江戸の城下で新しき菓子を学んでまいれ」との藩命を受け江戸に行き、「塩釜」と「練り羊羹」の製菓法を習得して帰郷しその秘法を二本松に広めることになる。
ここに二本松藩御用立のお菓子屋(御用商人)「玉屋」と、銘菓「二本松羊羹」が誕生する。
その後玉屋はますます繁盛し江戸時代が終わり明治のころになると六代目安斎茂兵衛のときに二本松の店を現在の福島市に移転し洋菓子の店としてさらに繁盛した。
ところが、明治10年ごろになぜか廃業してしまう。現在の二本松市竹田に在る和菓子屋の「玉屋・玉振堂」は、五代目安斎茂兵衛の弟が分家して嘉永6年(1853)に創業した和菓子屋である。
この六代目安斎茂兵衛のころ弟子入りした中に和田喜兵衛という人物がいて菓子の製法を学び‘のれん分け’ということで「玉嶋屋 」というお菓子屋を明治時代になって創業を始めます。
さらに和田喜兵衛と共に学んでいた日夏強蔵という人物も「日夏 」というお菓子屋を競うように開業します。
これが現在の二本松市の「玉嶋屋」と「日夏」という二大老舗菓子店の誕生となったのです。
後の大正時代に「日夏」の初代日夏強蔵は「二本松羊羹」の登録商標を単独で取得します。
現在でも「二本松羊羹」の名称は「菓子どころ日夏」だけの占有商標になります。
「玉嶋屋」の和田喜兵衛のほうは「カステラ饅頭」という大ヒット商品を作り繁盛するお菓子屋となり、のれん分けした「玉嶋屋支店」を出すまでになります。
この「玉嶋屋支店」が軍隊慰問用にと福島県からの要請で‘日の丸羊羹’を発案し、製造販売を始め、その作り方は全国に広められます。これがのちに「玉羊羹」の名称に変わり名物となります。
その後玉嶋屋支店は廃業したため、玉羊羹の製造販売は本店の玉嶋屋が機械ごと引き取り昭和32年(1957)に「玉嶋屋の玉羊羹」の商標を取得し看板商品になります。
さて話は少し戻りますが、玉屋の5代目と6代目安斎茂兵衛はその腕が認められ江戸時代に京都のお寺の大僧正から「菓子免許書」を拝命しました。
その「菓子免許書」を玉屋が廃業後に分家の「玉屋玉振堂」が預かっていたのですが、太平洋戦争後に当時二本松公民館に居た菅野軍司氏という人を介し、「玉屋玉振動」から「玉嶋屋」に渡ってしまったという話しがあるそうで、その理由は不明だそうです。
今、玉嶋屋さんは「江戸時代からの藩御用立つの店」を名乗っていますが、明治に開業で江戸時代にまだ開業していないのに廃藩置県で無くなった藩からどうやって御用を受けたのか?不思議な話しです。(二本松寺院物語参考)
二本松羊羹の不思議話でした。
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コメント
たしかに不思議です。羊羹という当て字?
以前は嫌いでしたが、近年は食べるようになりました。
一般的な羊羹、栗の入った羊羹など好きですね。
投稿: もうぞう | 2009年8月11日 05:23
羊羹・・・羊の肝???ですって???滋賀県に有名な、たしか、「たね屋」とか言うお菓子屋さんに、ソーセージみたいな丸い水羊羹があります。なんだか、これからは変な連想しそうで困ります。「虎屋」の羊羹が凄い日持ちがするって言うのも不思議です。食べ物もいろいろ知ると面白いのでしょうね。
投稿: 山口ももり | 2009年8月11日 08:02
)もうぞうさん
私は何にも入っていないのが一番好きですが、どれでもおいしくいただきます
)山口ももりさん
そうなんですか
私の隣町になる福島県本宮市にある老舗御菓子屋「虎屋」も日持ちする(外側の砂糖が固まるもの)「虎屋の羊羹」が名物の一つです。私の大好物です。
同じ名前ですから、何か関係が有るのかもしれませんね
投稿: 玉井人ひろた | 2009年8月11日 08:08
羊羹の字にはそういう由来があったのですね。これに限らず、中国から日本へ伝わった折りに元の意味と違ってしまった字も多くありそうです。
羊羹、昔ながらのシンプルな物が良いですね。日光のひしやの羊羹がそんな感じでした。虎屋、塩瀬、などの羊羹も好きです。
投稿: 秋ぎつね | 2009年8月11日 11:48
)秋ぎつねさん
本当にそういう漢字が多いのには驚かされます。
投稿: 玉井人ひろた | 2009年8月11日 12:12
とても興味深く拝見しました。世の中には元祖や本家や総本家なんてよく見かけますよね。その関わりが分かると“なーるほど”です。そういえば、薄皮饅頭の柏屋と本宮市の柏屋さんもルーツはご兄弟だったとか。
投稿: koji | 2009年8月12日 19:05
)kojiさん
本宮市の柏屋が本家だそうです。小松醤油も本家は下町に有った小松屋ですしね
投稿: 玉井人ひろた | 2009年8月12日 19:29
玉羊羹って、ゴムに入ってて爪楊枝でさすとプリンってでるあれじゃなくて!???
日夏…よく学校帰りに寄ったなあ。くぽ二本松工業高校卒なんだよ。最近知ったけど私のいた『工業デザイン科』が無くなってた…。ショック
投稿: くぽ | 2009年8月13日 00:53
)くぽさん
そうです。あの玉羊羹は福島県二本松市の老舗御菓子屋が日本軍のために発明し全国に広まったものですよ
投稿: 玉井人ひろた | 2009年8月13日 07:59
こんにちは、玉井人さん。
時々こちらへ伺って、お話を読ませて頂いていますが、
時間的にコメントを書き込めない時間もありました。
それなのに、わたしのブログへコメントをありがとう
ございました。
羊羹の謂れ、発祥など、時代の流れもよく調べられて
いて興味深く読みました。
なるほどと思いました。
羊羹、わたしも好きですね~~。
投稿: 浜辺の月 | 2009年8月13日 16:18
)浜辺の月さん
いえいえどういたしまして・・
考えたら羊羹はなんともおかしな形のお菓子ですよね
投稿: 玉井人ひろた | 2009年8月13日 21:10