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2009年10月 6日

江戸時代の二本松藩と“円周率3.14”

「パイ」と言えば何を思い浮かべるでしょうか?

食べ物のパイ、それともオッパイ?
それとも♪ラメチャンタラ ギッチョンチョンデ パイノパイノパイ♪などという「東京節(パイノパイ節)」・・・これは古すぎですね

そして円周率を表す「π」ですかね。

この円周率、今は略して「3.14」で計算しますよね。この数字は外国の数学だと思っている方も多いですが、日本ではすでに江戸時代に算術家という方たちがすでに数字を計算して出していました。
ただし当初は「3.15」でやっていたそうです。

それを国内で初めて「3.14」という数字を算出したのが江戸の磯村流和算術家「磯村善徳(いそむらよしのり)」なのです。
※、算術家とは現代で言うと物理学者、数学者、土地建物測量設計技師などを兼ねていた

どうして、この人の話をするかと言うと、磯村氏のお墓が福島県二本松市にあるからなのです。

なぜ、江戸の高名な学者の墓が福島県にあるかと申しますと、こんな歴史が有ります

 

磯村氏が二本松にやって来たのは承応元年(1652)で、目的は二本松城が防備という軍事的条件で欠けていた用水をまかなうための用水路を造る計画を実行するため二本松初代藩主丹羽光重公にその水路の設計測量を頼まれたからでした。Img_0686

 

それが安達太良山麓より延延約18キロにわたり水路として作られ今でも豊富な浄水を提供する「二合田用水(にごうだようすい)」なのです
そのごその功績によりに万治元年(1658)に二本松藩に召し抱えられたのでした。

 

しかしこの工事が難問だったのです。
幕府はそのころ城郭の新規建築はもとより修改築、そしてこうした工事に対して、厳しい規制をしていましたので、本工事は幕府に無届で真夜中に密かに行われたそうです。

 

磯村氏の測量も夜間に行われ、その様子は「行方不明者を探す人々」を装っていたそうです。
ですから、その当時すでにあった測量機械は持っていけないので水の傾斜角度はお盆に水を貼りその角度を測ったり、線香の火を目印にして測量したりという熟練の技を使ったそうです

 

その後磯村氏は寛文元年に「算法闕疑抄(さんぽうけつぎしょう)』という算術のバイブルのような書を書き後世の和算術にも貢献しています。(宝永7年7月24日没、法号「慶誉向善」、二本松市根崎の善性寺に眠る)

 

もし、二本松の菊人形を見る機会が有りましたら、その会場の霞ヶ城公園の水は全てこの磯村氏の設計した用水からの水であるなどと話したら、ちょっと尊敬されるかもしれませんね

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コメント

霞ヶ城公園ですって・・・覚えておかなくっちゃ。私の友人の話ですが・・・
「ボクのおじいちゃん、おけ屋やったんや。昔の人ってかしこいんやでえ。先ずおけの底の丸い輪を作り、その真ん中の3回分の横の木を置くねんでぇ」・・・ですって。

投稿: 山口ももり | 2009年10月 7日 10:24

)山口ももりさん

それじゃその方に、“昔風が吹いたとき本当に桶屋が儲かった”のかを聞くと諺の真実が分かるかもしれませんね

投稿: 玉井人ひろた | 2009年10月 7日 12:26

和算は進歩していたようですね。微積分のない当時の日本で円周率をかなり正確に求めていたというのは驚きです。

投稿: 秋ぎつね | 2009年10月 8日 15:45

)秋ぎつねさん

そうなんですよ。この後他の和算学者はかなりの桁数まで円周率の数値を発表しているんですから、凄いです

投稿: 玉井人ひろた | 2009年10月 8日 16:10

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