丘灯至夫(おかとしお)さん 亡くなる
福島県田村郡の「小野小町のゆかり」の小野町(おのまち)出身の作曲家丘灯至夫(おかとしお)さんが先日他界しましたね。
福島県の出身者では歌謡曲のヒットメーカで歌手石川さゆりさんの恩師の作詞作曲家の「猪俣公章(いのまたこうしょう)さん」、次いで日本の行進曲の神様的作曲家「小関裕而(こせきゆうじ)さん」、そして演歌のヒットメーカーの作曲家「市川昭介(いちかわしょうすけ)さん」、そしてついに福島県が生んだ最後の大物作曲家丘灯至夫(おかとしお)さん」がこの世を去りました。
丘灯至夫さんのばあい作曲ジャンルの範囲が物凄く広いのが面白いです。
年配者だと福島県出身者コンビ「小関裕而作曲・丘灯至夫作詩」で作られヒットした
♪汽車の窓からハンケチ降れば~・・・高原列車はラララ行くよ~♪
の歌、「高原列車は行く」が思い出されることでしょう。
この歌には逸話が有ります。丘さんは郷土の会津を走る汽車が雪の中を重い荷物や人を乗せスイッチバック式でしか上がれない急な山岳線路を白い煙を吐き力強く、まるで「息を切らして登る極寒の蒸気機関車」をイメージして作詞したそうですが、
それを小関さんは軽快な明るい「夏の避暑地を走るモダンな列車」の曲に作ってしまい「私のイメージした詩と全然違う」と驚いたそうです。ところが大ヒットしてさらに驚いたそうです。
その他には、テレビなどの主題歌「木枯らし門次郎」「二十四の瞳」「みなしごハッチ」「ハクション大魔王」など、歌謡曲では「東京のバスガール」「高校三年生」など、さらに出身地の福島県内の小学校や中学校校歌も多く作られているのも特徴だと思います
その校歌の中に結構二本松市の学校(二本松第三中学校など)や郡山市の学校の校歌が、出身地じゃないのに有るのがちょっと気になりプロフィールをのぞいてみました。
この丘灯至夫(おかとしお)さんは本名「西山安吉さん」といい大正6年福島県田村郡小野新町に今でも経営されている旅館西田屋旅館の西山亀太郎さん、モトさんの六男として誕生しました。
現在の福島県田村郡小野町です。県外の方には「りかちゃんキャッスル」“りかちゃんの生家(工場)が有る町”と言えば分かりやすいかもしれません。
その後、昭和4年郡山市立金透小学校尋常科を卒業、郡山市立郡山商工学校(現福島県立郡山商業高等学校)商業科に入学するんですが、「身体がひ弱で病弱」のため3年間をかなり通学自体を苦労して卒業したようです。
そして当時は長男以外は家業を継げない世の中ですので丘さんも同じ流れで東京に上京して会社で勤めようとするのですが病弱のため、故郷に帰ってきます(主治医らの強制的帰郷だったようです)
帰郷後おとうさんが副社長を務める電気会社ゆかりの福島県安達郡二本松町(現在の二本松市)の二本松電気株式会社に入社し、営業課用度係に携わったようです。
昭和10年合併があり、大日本電力株式会社(現東北電力株式会社)になり、郡山事業所勤務になったそうですが、その会社の副社長に丘さんの父親がなっていたため、“副社長の息子”と言うことで大事にされ何も仕事はさせてもらえず用務員室で詩を書いていたようです。
そこでまた再上京し本格的に作詞家の道へ進んだ結果が今のようになったようです。
つまり、二本松市と郡山市で働いていたのでその縁で校歌を作ってもらったようです。
謎が解けました
ご冥福を祈ります。
追記
もう一人偉大な作曲家を忘れていました。
江戸時代初期のころ活躍した「八橋検校(やつはしけんぎょう)氏」も現在の福島県いわき市の出身でした。
お正月に流れる琴の調べはほぼすべてこの方の作曲だそうです
京都の銘菓「八つ橋」は、この八橋検校氏に由来する名前だという説が有ります
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コメント
ふむふむ、丘さんの思いは微妙に古関裕而さんには伝わらなかったんですね。面白いエピソードです。
今の時代、何も仕事しないで作詞してたら、給湯室で陰口たたかれそうですね(笑)
投稿: くぽ | 2009年11月25日 (水曜日) 17:57
)くぽさん
そうでしょうね。ただそのころは副社長の御曹司ということで社員は腫れ物に触るようだったそうです
投稿: 玉井人ひろた | 2009年11月25日 (水曜日) 19:01
福島にはヒットメーカーが多くおいでだったんですね~
知りませんでした。
新潟は少ないです。
投稿: もうぞう | 2009年11月25日 (水曜日) 19:44
)もうぞうさん
新潟県も沢山いると思いますよ
投稿: 玉井人ひろた | 2009年11月25日 (水曜日) 20:23
こんばんは。
丘灯至夫さん、昨日亡くなられたんですね。
昨日の夕方、それとはつゆ知らず、駅前のビッグアイの展望台から駅東口を見下ろしながら、「高校3年生」の歌碑の話をしてたんですよ。
我が家に、丘さん自筆の「高校3年生」の色紙があります。
ちょっとした自慢話でした。
投稿: いっこんま | 2009年11月25日 (水曜日) 20:49
)いっこんまさん
地元の市川昭介さんのは無かったんですか?それもあると凄いですね
もう亡くなりましたが、近所の家に市川昭介さんの親戚の方が嫁いできていました
投稿: 玉井人ひろた | 2009年11月25日 (水曜日) 22:45
曲が先で詞が後だったのですね。軽井沢や清里といった高原をゆく列車がイメージされていたのでこのお話は驚きでした。でも世の中何が当たるかわからないものですね。
投稿: 秋ぎつね | 2009年11月26日 (木曜日) 16:46
)秋ぎつねさん
逆です
会津の機関車をイメージした“作詞が先”で作曲が後ですよ
いずれにしても、歌と言うのは作者のイメージとは違っている場合のほうが売れることが多いようですね
投稿: 玉井人ひろた | 2009年11月26日 (木曜日) 18:40
勘違い失礼しました。丘さんは作詞家でしたよね、うっかりと「高原列車」が丘さん作曲だと思い込んでしまっていました。
投稿: 秋ぎつね | 2009年11月28日 (土曜日) 07:50
)秋ぎつねさん
どういたしまして
投稿: 玉井人ひろた | 2009年11月28日 (土曜日) 08:47