「越後獅子」と「角兵獅子」とは・・違う?違わない?
いつも私のココログにコメントを頂く新潟県の「もうぞうさん」の今回2月10日のお題は「角兵獅子」の慰霊碑の事でございました。
http://jp.air-nifty.com/umetoko/2010/02/post-8a98.html
江戸時代、幼い子供が獅子頭を頭に載せ舞い踊る「角兵獅子(かくべいじし)」”という大道芸が一世を風靡しました。
この角兵獅子の発祥の地が新潟県の旧西蒲原郡月潟村(にしかんばらぐんつきがたむら)なのです。
現在月潟村は新潟市に合併編入され「新潟市南区と新潟市西蒲区」の二つの区に変わっていますが、「旧月潟村」の名と「角兵獅子」の名、そして旅先で亡くなった子供たちの哀れさを後世に伝えようと実行委員会が大きな立派な記念碑を建立(こんりゅう)したそうです
この慰霊碑の文章には
角兵獅子の史資料では・・・・中略・・・この度、「越後獅子の唄」歌碑建立にあたり・・・以下省略
「越後獅子の唄」歌碑等建立実行委員会
と、刻まれているフォトが掲載されていましたが・・・気になったのが
“越後獅子”“角兵獅子”なぜ二種類の名称なのか?どっちが、どっち?違いは有るの?
・・と思ってしまったんです
昔の記憶をたどってみました。「角兵獅子」の映画というと私の年代だと美空ひばりが角兵獅子役で出て劇中で「越後獅子の唄」を歌う「鞍馬天狗」ですね。
舞台は京都、鎖国を解き諸外国と貿易を始めようとする幕府、その幕府に「開国承諾」を天皇から頂くことを委任された我が会津藩、それに対しかたくなに鎖国し外国排除を称える長州などの時代錯誤の勢力に加担する謎の人物「鞍馬天狗」が主役の映画でした(映画では逆でしたね)。
この映画でも二通りの名称が出ていた気がします。劇中の美空ひばりの役柄を呼ぶ名称は「角兵獅子」で、歌は「越後獅子」でした気がします。
江戸時代、越後の国の月潟村で発祥したこの立ち獅子舞のことを地元の越後ではその地名から「蒲原獅子(かんばらじし)」または「月潟獅子(つきがたじし)」と呼ばれ、神事の伝統獅子舞だったそうです。
この呼び名が本来の名称らしいですね。
ただ、これは地元ならではの呼び名で全国的には「越後の獅子舞」=「越後獅子(えちごじし)」と言われて人気を博したようです
その越後獅子をするグループ(一座的なもの)はいくつもあったわけです。その中で特に江戸の町で評判になったのが「角兵さん」という親方がやる越後獅子だったそうです。
そこで江戸の町では、越後獅子なら“角兵の越後獅子”となり、それが短縮され「角兵獅子」になったようです。
江戸以外にもその角兵さんの率いる一座は評判を呼び引っ張りだこになったようで、その名は瞬く間に全国にも広まっていったらしいです。ということで「角兵獅子」は最も後の名称のようです
この説からいけば地元に有る慰霊碑はどうなるのでしょう?
この内容からいけば地元ですから名称は「蒲原獅子」で、歌なら「越後獅子」ですかね。角兵獅子は・・・あら!どうしましょう)
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コメント
いや~すごいですね。
地元民より詳しいです。
投稿: もうぞう | 2010年2月10日 19:47
)もうぞうさん
以前から気にはなっていたんですが、やっと分かりました
投稿: 玉井人ひろた | 2010年2月10日 19:56
なるほど!そういう歴史があるんですね。越後獅子、が一番全部を包含しているということになるのでしょうか。
ところで私は鞍馬天狗といえば杉作少年がすぐに浮かんできます。
投稿: 秋ぎつね | 2010年2月10日 20:36
何かの文献をご存じでしたら、教えていただきたいのですが・・
よろしくお願いします。
投稿: もうぞう | 2010年2月10日 20:42
)秋ぎつねさん
確か・・・その杉作の役をまだ子供のころの美空ひばりがやっていた気がします。ちがったかな?
投稿: 玉井人ひろた | 2010年2月10日 21:05
)もうぞうさん
私のはネットサーフィンで信ぴょう性が有り、かつ共通点部分を組み合わせていますので元になる文献はちょっと分かりかねます。
ただ、
<角兵衛獅子ものがたり 越後・月潟>
江部保治/文
横山信子/画
という本は手に入り易いようですよ
投稿: 玉井人ひろた | 2010年2月10日 21:30
いろいろ調べて纏めてもらえるのはさすが玉井人ひろたさま。
またもや お勉強させてもらいました。
美空ひばりが劇中で「越後獅子の唄」テレビの再放送で見た覚えがありますが詳しくは知らなかったのでありがたいです。
投稿: kiyoka | 2010年2月11日 09:13
)kiyokaさん
私も再放送の口です。
投稿: 玉井人ひろた | 2010年2月11日 09:49