田舎の困ったところと、すごいところ
田舎に住んでいると気がつかないことでも、よそから訪れた人によって改めて「これは困るな」と言うものに気づかされることが有ります。
以前のことです。
我が家にどこから来たのか?近所の人物を訪ねてきた人がその家が分からず我が家に聞きに来た時の話です。
(※、ここでは分かりやすくするため氏名を仮名でにしました)
尋ね人、「すみません。遠藤さん(仮名)の家はどこでしょうか?」
と、困った顔で聞かれたのですが、ここで私の方がもっと困ってしまったのです
その人が口にしたのは“苗字”だけなのですが、なぜ困ったか分かりましたか?
田舎と言うのは同じ苗字の家が連なって何件も有るのです。
私が聞かれた遠藤家(仮名)もズラ~と並んで約10件も存在するわけですから、私としては教えようがないのです。
すかさず私は「遠藤さんの家は沢山あるんですよ。遠藤・何さんですか?」と、聞き返しました。
そしたら・・・もっと困った答えが返ってきました
尋ね人、「それが・・・苗字でしか聞いてこなくて、名を知らないんです。」
なんと、その方は苗字さえ分かれば簡単に家が見つかるものだと思ってきたらしく、同じ苗字の家が何件も有ることを想定していなかったので名を聞いてこなかったようなのです。
そのことを知ったその方の表情は「どうしたらいいのか分からない」といった表情がさらに暗い困ったものになっていきました
ところがです。ここから田舎のすごさが発揮されるのです。
私が聞きます。
「その人は、どこに勤めてる?どんな職種の人?家族は何してる?」と、矢継ぎ早に質問を並べました。
そうすると、「○○に勤めていると思います。」など一つ二つ手掛かりが出るのです。
私、「ああ~、それじゃあの人かな・・○○の方に行ったりしてる?」
尋ね人「あ!そうです。そうです」
私、「間違いない。遠藤○○さんだ。その家なら・・・そこの・・」
地域の家のことなどだいたいのことは知っているのが田舎です。ここがすごいところでしょうか。
近所づきあいが無い都会では難しいことでしょうね。
しかし、
最近は私の地区のような田圃がほとんどの農村でもアパートや新興住宅団地が増えたり、昔からの家でも若い人の中にはまったく近所づきあいをしない人が増えてしまって、知らない顔が増えてきています。
それが悪いことなのか、良いことなのか、賛否の意見が出始めているのも現状です
| 固定リンク | 0
コメント
あるある・・・
田舎に行けば行くほど、同じ苗字が多くなりますね。
そこで「屋号」が活躍します。
もっとも他所から訪ねて来た人は、屋号は知らないでしょうけどね。
投稿: もうぞう | 2010年3月27日 (土曜日) 19:09
)もうぞうさん
そうなんです。その屋号と通称を覚えると田舎の交流は楽になります
投稿: 玉井人ひろた | 2010年3月28日 (日曜日) 08:00
私の実家は明治の末に越してきたので小学区で1軒だけの苗字なので何処で聞いても判りました。
やはり前から住んでいる人は同じ苗字の人が多くて苗字だけではわからなかった。思い出しましたよ。
実家は6年間1クラスでした。次の学年は2クラスもあったけど。 小さい田舎です。
投稿: kiyoka | 2010年3月29日 (月曜日) 18:37
)kiyokaさん
そうですか。私の同級生は150名ほどになりそれを無理やり3クラスにしていましたからキューギューでした。
今の母校は1クラスくらいになってしまったようです
投稿: 玉井人ひろた | 2010年3月29日 (月曜日) 19:01
私の場合、東京で過ごした小、中、高、大通じて同じ名字はいませんでしたが...
今の地元には「上野」「雨宮」「古屋」「輿石」「広瀬」姓が非常に多く、名字だけではわかりませんね。
投稿: 秋ぎつね | 2010年3月31日 (水曜日) 21:16
)秋ぎつねさん
わたしは珍しい苗字なのでほとんど同じ苗字のものとは逢わなかったですが、村内では複数の件数があります
投稿: 玉井人ひろた | 2010年3月31日 (水曜日) 22:49