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2010年9月24日

「ずんだ餅」?・「じんだ餅」?・「ぢんた餅」?・・

青肌大豆(あおばただいず)または枝豆を使って、ウグイス色の餡をお持ちに絡めた食べ物を、我が地域では「ぢんた餅(じんだ)」と昔から言っていました。

九州のある人のブログ
東北の人はこの「糂汰じんだ」のことを、東北弁に訛るから「ずんだ餅」としか言えないらしい

などと言う中傷めいた記事を見つけたときは、。「わたしの地域は“ぢんた”で、“ずんだ”と言っているのは東京の人なのに」と腹が立ちましたね

宮城県との県境に近い福島県相馬市の和菓子屋さんでは「んだ」対「んだ」で「こっちが正しい。そっちが誤りだ」とちょっとした論争まで起きているとか・・・

ところが最近、お隣宮城県仙台市の名物、そして東京でもこの餅のことを「ずんだ餅」と言いますので、福島県内のほとんどの地域でも「ずんだ」というようになりました

この餅は新潟県や栃木等含め東北の各地域で言い方が変わりいろいろな名称になっています。

  • 「ずんだ餅」    =岩手県南部、宮城県、福島県新知町(宮城との県境)
  • 「じんだ・ぢんだ餅」=福島県(会津除く)、秋田県、山形県
  • 「じんだん餅」   =山形県
  • 「ぬ た餅」     =山形県、福島県会津地方のみ
  • その他に「まめずり餅」、「ごた餅」等の言い方がある。

では、語源は?・・発祥の地は?・・誰が言い出したのか?・・

その答えは最もポピュラーに使われている「ずんだ」の言葉からリサーチしてみました

ずんだ餅を特産にしている仙台の和菓子屋さんのホームページには語源が必ず書いてありますが、店ごとになぜか違うんです。それらをまとめてみましょう。

    1. 昔、伊達政宗公が領内の見回りに出かけられた折、とある村に立ち寄ったとき村人に馳走になった餅がたいそう気に入られ、それを藩内に広めたもので、豆を打ちつぶして作るから「豆打餅(ずだもち)」が訛って「ずんだ餅」となった。(仙台の和菓子店ホームページより
       
    2. 昔、伊達政宗公が「伊勢参り」にお出かけになったとき、名物の「赤福餅」をいただきそのおいしさがいたくお気に入りになり「我が仙台藩でも同じような餅菓子を作り出せ」と命じる。それから2年以上もの試行錯誤が繰り返され、でき上がったのがこの餅である。
      名は「豆を打つ」から「豆打餅(ずだもち)」となり、訛って「ずんだ餅」となった。(仙台の和菓子店ホームページより
       
    3. 昔、伊達政宗公は戦に出陣するときなどに陣太刀で豆を潰したのを餅と合わせて食べるのを好んだところから、これを「陣太刀餅(じんだちもち)」と言われるようになり、それが「じんだ餅」となり、やがて訛ってずんだ餅」と言われるようになった。(仙台の和菓子店ホームページより )
        
    4. 米糠に塩を加えて発酵させたものを「糂汰(じんだ)」と呼び、そこから糀ともち米に塩を加えてならしたのが「糂汰餅(じんだもち)」となり、これが語源。
      これに枝豆の餡をつけて食べるという説もある。(仙台の和菓子店ホームページより
       
    5. 本来は「ぬかみそ」のことだった「糂汰(じんだ・じんた)」が、枝豆あるいは莢豆(さやまめ)を茹でて潰したものも「糂汰(じんだ)」と言うようになり、それに砂糖や蜂蜜を入れ餡にしたのを絡んだ餅を「糂汰餅(じんだもち・じんたもち)」と言うようになった。(広辞苑より)
      それが訛ったのが「ずんだ餅」である。
       
    6. ●伊達政宗公の共の者(家来)に甚太(じんた)なる人物がいた。
      政宗公は出陣の折、この甚太氏が陣太刀(じんだち打ち潰した豆と餅とを一緒したのを必ず食べたことから、それが藩内に広まってできた食べ物。
      そこからこの餅を「甚太餅(じんたもち)」、「陣太刀餅(じんだちもち)」、「豆打餅(ずだもち)」と呼ばれるようになり、その後それらと「4番の語源」なども合わさり交じり合ったり訛ったりして現在に至ったのが「ずんだ餅」である。(仙台の和菓子店ホームページより 
    7. ●伊達家の料理を記録した料理集には「ぢんた餅」と記されていることが確認されている

1~6までの語源の確証は無いようなのですが現在の仙台市内のホームページを見ると最後の番が最も多く支持されているようです。

上記のことを踏まええて考えると、やはり「じんた、ぢんた」だったものが訛って「ずんだ」になり、その後その訛り言葉の「ずんだ」に「豆打(ずだ)」という漢字を当てた、「豆打」=「当て字」、ではないでしょうか

つまり、私が子供のころ使っていた「じんたもち・ぢんたもち(‘た’が濁音じゃない)」というのが本来の言い方だった可能性のほうが大なのです。

これらとから、「じんた餅」といっていることのほうがより正確な言い方だと自信が沸いてきました。

続編↓に続く
https://iwasironokuni.cocolog-nifty.com/komiti/2010/09/post-449f.html

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コメント

そうですか~。
私は5番が妥当のような気がしました。
しかし驚いたのは、福島県でも同じものが昔からあったという事ですね。
考えてみれば、福島県と宮城県はお隣の県ですから当たり前ですね。
我地域のスーパーで福島県のものがたまに出ますが、化学調味料で味付けされたものです。
私は未だに本物を食べた事がありません。

投稿: HAPPY太郎 | 2010年9月24日 20:15

以前、二本松の和菓子屋さんで古ぼけた「じんだもち」という張り紙を見つけました。ところがショーケースの中の品札は「ずんだもち」
訊ねると、今はずんだと言わないと伝わらないから、と。
私が子どもの頃母が作っていた枝豆のお萩は間違いなくじん○。「た」だったか「だ」だったかはボンヤリしています。

投稿: ハル | 2010年9月24日 21:04

HAPPY太郎さんへ

隣り合っているのは現在の話です。
伊達政宗が健在だったころは、山形、福島、宮城などは同じ「伊達家」の領地です。ですから同じものが存在して当然なんですよ。
 
 
ハルさんへ

そうなんですよ。「じんた」または「ぢんだ」はどんどん「ずんだ」に侵食され続けています

投稿: 玉井人ひろた | 2010年9月24日 21:11

いや驚きました。
そうだったんですか!!
何時の日か機会がありましたら、そちらの地域で食されている本物の「じんた餅」の詳細な作り方など記事にして欲しいと思います。
御願いしますm(_ _)m

投稿: HAPPY太郎 | 2010年9月25日 00:21

HAPPY太郎さんへ

伊達政宗は仙台のイメージが強すぎますね。
本来は親代々とも山形県で生まれ育ってそこで米沢城主になり、後に黒川城主(会津城)になり、豊臣秀吉によって仙台城主に強制移動させられていますからね

ちなみに伊達家の始祖、つまり発祥の地は現在の‘福島県伊達市’だと言われています

投稿: 玉井人ひろた | 2010年9月25日 08:11

豆打餅・・・「んだんだ」って???納得した時言うのは東北弁でしたか???なんだか東北弁には「ん」が多いようです。

投稿: 山口ももり | 2010年9月27日 11:25

山口ももりさんへ

そうですね。

ただし、「んだ」も言いますが、私の地域は同じ意味の「ほだ」や「ほだ、ほだ」と言う言い方をします

例えば「そうですね」なら「ほだない」になります。

「ほだ」は高齢者ほど使う割合が多いようです。

投稿: 玉井人ひろた | 2010年9月27日 13:32

元々の伊達家所領の山形県置賜地方の「じんだん」を語源とし、その後各地に広まり方言等の影響で「ずんだ」となったのではないかと考えます。

投稿: shion3498s | 2022年1月 6日 16:39

>shion3498sさんへ

コメントありがとうございます。

投稿: 玉井人ひろた | 2022年1月 6日 17:37

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