不束者(ふつつかもの)
本日は昔話から始めます)
昔々、あるところに気立てのいい娘さんがおった。そこに、隣町からお見合いの話を持って世話人さんが訪ねてきました。
世話人、「ごめんくださいまし、こちらにたいそう不束者(ふつつかもの)の娘さんがおると聞きましていいお見合い話を持って参上いたしました、娘さんはおいででございますか?」
娘の父、「これはこれは、わざわざお越しいただきありがとうございます。不束者などと言って頂けるほど良い娘だかどうか、どうぞお確かめくださいませ」
世話人、「どれどれ・・いやこれはこれは健康で働き者とお見受けいたします。噂通りの不束(ふつつか)な娘さんで安心いたしました」
娘の父、「お褒めの言葉をいただき、感謝申し上げまするm(_ _)m」
なんか変な会話だったかもしれませんね)
「不束者(ふつつかもの)」とは、元々は男女問わず「太くて丈夫な者、壮健な若者」という意味で“褒め言葉”だったのです。
それが平和な江戸時代のころになると柳腰とか「痩せ型の者」がカッコいいということになってきますと、「太い=無骨者」という風潮になってきます。
そこで不束者の使い方が変化します
「我が家の娘は見たとおり体が太くて大飯喰の不束者ではありますが、食べる分丈夫でよく働く娘でございます」
となり不束者は褒め言葉ではなくなってしまいます。現在に至っては「風流が無い」とか「不調法な者」の代名詞になってしまいましたね。
だいたい「不束者」という言葉そのものを聞くことそのものが無くなってしまいました。
美観の基準が変わると、褒め言葉も中傷言葉になってしまうという、一つの例でしょう。
そういうのっていっぱい有るんでしょうね
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コメント
NHKのことばおじさんのコーナーでも時々取り上げますね。
同じことばでも、昔と今では違った意味になる言葉。
言葉は時代とともに変化する場合があるのですよね~
投稿: もうぞう | 2010年10月30日 19:54
もうぞうさんへ
昔から日本語には略語が多く、略して消えた言葉も大切なんですよね
投稿: 玉井人ひろた | 2010年10月30日 22:19
面白い小話だと笑いながら読んでいたら、真面目な話だったんですね。
なるほど美観の基準ですね。
美観の基準と言うのは何によって変わるんでしょうね。
投稿: HAPPY太郎 | 2010年10月31日 10:56
HAPPY太郎さんへ
人の場合、有名な人が、有名な人を指して「・・・は美しい」と、言ったとたんに変わる気がします
投稿: 玉井人ひろた | 2010年10月31日 13:33