ある人物の経歴ですが、誰でしょう?
Q、ある人物の経歴ですが、誰だか分かるでしょうか?
- 天保13年、土佐藩の庄屋の千屋民五郎の三男として誕生
- 土佐勤王(勤皇)党に加盟
- 文久2年、江戸で勝海舟に弟子入り
- 神戸海軍操練所に参加
- 亀山社中を結成
- イギリス製軍艦ユニオン号の艦長となる
※長州藩では乙丑丸、薩摩藩では桜島丸の名で呼ばれた軍艦、名義上は薩摩藩の所有だが、購入したのは長州藩で、運用していたのは亀山社中 - 海援隊の隊員として参戦
- 慶応4年、京都の医師の楢崎将作の三女起美(君江、君枝)と結婚
- 戊辰戦争に従軍
- 明治元年、アメリカに渡りニュージャージー州にあるラトガース大学に留学
- 帰国後、海軍省に入省
- 艦政局運輸課長→横須賀鎮守府建築部長
- 海軍少佐
- 鹿児島の海軍造船所次長就任
- 弾薬掠奪事件に関与
- 明治17年、官職を辞職
- 原野だった安積郡冨久山村八山田に移住し「安積原野開拓」に心血を注ぎ従事し始めるが3年ほどで病になる
(現在の福島県郡山市富久山町八山田(ふくしまけんふくやままちやつやまだ)である) - 明治26年、東京で死去、享年52歳
いま、福島県内で県にゆかりのこ人物をもっと注目しようと言う人たちが出始めているようですが、誰のことかわかったでしょうかね。わたしはこんな人の名前も聞いたことが無かった人物でした
この人物、旧名を「千屋寅之助(ちやとらのすけ)」といった「菅野覚兵衛(すがのかくべい)のことですが、なおさら分からないですよね。
経歴にある「京都の医師の楢崎将作の三女起美(君江、君枝)と結婚」と、言うところで「え!まさか!あの人と関係有るの?」と、思った人がいたらそれは相当の幕末歴史に詳しい人の証です。
菅野覚兵衛の妻の起美さんの一番上の姉の名前は「お龍さん」と言います。
そうです。坂本龍馬の妻で有名なあの「おりょうさん」です。
(ただし、坂本龍馬はお龍と出会う前に江戸で千葉さな子(佐那)さんと婚約し結婚していたらしいので、二人目の妻とも言える)
つまり、菅野覚兵衛氏と坂本龍馬は“義兄弟”に当たります。そもそも、菅野覚兵衛と起美の出会いと結婚は坂本龍馬が仲介したそうです。
この坂本龍馬の義兄弟が福島県の郡山市に住み必死で病に倒れても開拓を使用としたのは坂本龍馬が抱いた「蝦夷地開拓の夢」を北国でやろうとしたらしいです。
そんな人物が夫婦で郡山市にいたんですねえ。
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コメント
勝海舟や竜馬の関係者が福島県に住んでいたんですねぇ。
開拓もさることながら、勝海舟や竜馬から学んだものを地元の人たちに教えたりはしなかったんでしょうか?
まあ、そんな暇は無かったのかも知れませんが・・・。
投稿: HAPPY太郎 | 2010年12月 7日 12:09
こんにちは☆
記事と全く違う話ですいませんが、遠藤ケ滝は冬季行けるでしょうか?
雪が積もると車で登っていけないような‥。
投稿: からくり庵 | 2010年12月 7日 12:21
HAPPY太郎さんへ
そうなんですよね。明治の動乱期にはいろんな人が日本国中を移動していたんですね。
からくり庵さんへ
ご存知の通り遠藤ヶ滝の直ぐ下流には「あだたら温泉」がありますので、基本的には閉鎖されず駐車場まで行けますが、積雪量で車種によっては無理ですね。
4WD車なら乗用車タイプでも30センチ未満なら何とか行けますよ。
私は真冬の積雪次期に何度も行っています。ただ、お堂から奥の歩道の雪もすごいです。わたしは40センチくらいのときに行けましたよ
投稿: 玉井人ひろた | 2010年12月 7日 20:36
え・え・え・・??龍馬???でも・・・明治元年、アメリカに渡りニュージャージー州にあるラトガース大学に留学 ・・・あたりから、違うなあって思いました。福島県の郡山市に住み必死で病に倒れても開拓・・・されたのですか・・・今は都会なんでしょうねえ。
投稿: 山口ももり | 2010年12月10日 09:27
山口ももりさんへ
今でも菅野氏がいた場所は、どちらかと言うと郡山市の郊外になりますからまだ商店街とはなりませんが、急速に増えだしている住宅地ですよ。
投稿: 玉井人ひろた | 2010年12月10日 12:22
とても魅力的な記事でした。
また遊びにきます。
ありがとうございます。
投稿: あろえ | 2010年12月29日 12:17
あろえさんへ
魅力的」ということは始めていただいたお言葉です
なんだか、照れますね
投稿: 玉井人ひろた | 2010年12月29日 15:22