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2011年2月10日

「八百長(やおちょう)」とは“相撲用語”だった

大相撲界には「一門」という、いわば相撲界の派閥のようなものが存在します。現在は元々存在する五つの一門と新たに貴乃花派というのが増え、50以上もの部屋が存在すると言う構成になっています。

  • 時津風一門(横綱双葉山が起こした部屋
  • 高 砂一門
  • 二所ノ関一門
    ※、現在の大相撲協会放駒理事長の「放駒部屋」は二所ノ関一
  • 立 浪一門
  • 出羽海一門
  • 貴乃花一派(元は二所ノ関一門

部屋だけですと最も古く江戸時代から存在するのは現在時津風一門に吸収された「伊勢ノ海部屋」というのです。昭和の名横綱の一人で横綱大鵬のライバルだった横綱柏戸関(現在柏戸関は独立し鏡山部屋になっている)が居たところです

この伊勢ノ海部屋の初代は「伊勢海五大夫(いせのうみごだゆう)」という年寄名跡(通称:親方株)もった人物でした。通称で言えば初代伊勢ノ海親方(いせのうみおやかた)となりますね。

この初代伊勢ノ海親方に関して面白い逸話が有り、それが今話題です。

始まり始まり>

時代は江戸幕府が倒れ明治に年号が改まったころのお話です。
既に現役を退いた伊勢海親方の大好きだったのは碁会所に通うことでありました。つまり、囲碁をするのが唯一の趣味で楽しみだったのであります。

この碁会所でめっぽう碁が強かった人物がおりまして名を「長兵衛さん」と申しました。もちろん伊勢海親方等勝てる相手ではないのでありますが、なぜか?なぜか?この長兵衛さんは伊勢海親方にだけには負けてしまうのであります。
皆は「やはり相性が悪いんじゃろう。あの強い長兵衛さんが負けるなんて不思議じゃ」と、思ってみていたそうであります。

ず~っと後に判ったこと。
この長兵衛さんの商売は「八百屋」を営んでおりまして、八百屋にとって相撲部屋との取引と言うのは大きな収入源であります。つまり、長兵衛さんは“わざと”伊勢海親方に負けて、ご機嫌をとっていたのであります。つまり今風に言えば「接待囲碁」とでもいえますかね。

これが後に前もって勝敗を決めてやる(インチキ)相撲を指して「この相撲は“八百屋の長兵衛”だ」と言うようになり、それが「八百長相撲」と呼ばれるようになり、その後相撲に限らずすべての談合試合を「八百長」と言うようになったのでありました

石原都知事が先日の会見で「相撲とは八百長も含めて、そういうもの(興行・見世物)だ。騒ぐほどのことは無い」などのような内容を言いましたが、八百長の語源から行けばそれも一理あるのかもしれないですね

こんな記事を書いたら、八百長に大相撲の歴史を感じちゃう人・・・・いるかもしれない

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コメント

実は、私も・・・そりゃあ、余りよくないとは思いますが・・・なんでもカンでもすっかり明るみにだすのも???お相撲から外交まで・・・ハ・ハ・ハ・・・話が飛躍してすみません。

投稿: 山口ももり | 2011年2月10日 11:42

山口ももりさんへ

「人情相撲」とか「片八百長」とか。対戦相手との協議が無い、個人の判断での勝敗は金銭が掛かった八百長とは別物だとか解説されていますね。
いずれにせよ「ファイティングショーならいいが、国技となるとどうなんでしょうか?」とかね。
今回の八百長問題はなんだか違う方向に進んでいる気がします

投稿: 玉井人ひろた | 2011年2月10日 12:23

「興行」という側面もありますからね~

投稿: もうぞう | 2011年2月10日 19:35

もうぞうさんへ

興行=見世物、という意味が有りますからと・・・
賛否あるでしょうが、難しいところです

投稿: 玉井人ひろた | 2011年2月10日 20:37

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