震度6」の大地震が襲ったその日‘2011.3.11’
3月11日の曇りの朝、我が家ではこんなわたしとパートに出かける前の妻との何気ない会話から始まった。
俺、「きのうの夜、いや~おっかない夢 見たんだよな~」
妻、「まだ、死んだ人でも出だのがい?」
俺、「いや違!妹ど甥が泊まりさきてで寝るころなったらな、すごい地震が来たんだ。
その地震の揺れのデカイごどデガイごど。家の壁が左右に2メートル近ぐ振られんだ。」
妻、「そして?」
俺、「おれは必死に「動くな!頭抑えろ!」てみんなに絶叫して、おさまったころ目が覚めだんだ。おっかない地震だった」
妻、「‘夢’でよがったない」
そんな、たわいも無い台所での笑い話だった・・・・のだが・・、その日の午後、それは実際に起き、わたしの夢は「正夢」となってしまった。
午後3時近く、ゆらゆらと小さく揺れ始めた地震は次第に大きくなり止らない。めったにしないことだが、外に出られる窓を開けた、でも外には出ず止むのを待つが揺れはもっと大きく激しくなる。
ついに巨大な揺れとなり、わたしは地震で初めて経験する揺れに「家が倒壊する」と直感し外に飛び出した。
テラスのサンダルを履こうと思ったが、揺れが大きく足元がすくわれてまともに歩くこともできない。立っているのがやっとだ。それでもふらつきながらサンダルを履き、高齢の母親の様子を見るため畑のほうに向かった。
母は玄関の外の脇で、驚きと恐怖のあまり中腰で息も絶え絶えの形相をしてたたずんでいた。
「さすけねが?(だいじょうぶか?)」と、声をかける。「いや~おかね。おかねぇ~」という返事がやっとのようだった。
その間にも、まったく、揺れは止まらない。強くなったり弱くなったり強い地震の揺れが続く。
一瞬弱くなって、少し気持ちを切り替えができた。
母が「何かぼっこっちぇんでねぇが?(何か壊れているんじゃないか?)」と、家の中に入ろうとするのを制して「いいがら、どうせもっと崩れっから、外さいろ」と言い。わたしがかわりに部屋に入り車のキーを持ち出し、ガスの元栓を締め、母と二人でおさまるまで車の中に非難した。
悪いことは重なるもので、外は寒波の影響で猛吹雪の天候になり寒くてちょっとの間も外にいられないので、車の中で暖をとるしかなかったのだった。
エンジンをかけヒーターを使っていたが、そのときは、この日の内にガソリンスタンドが使えなくなることを気が付かないのであった。
ただ、何かを感じたのだろうか?母が「ガソリン無くなると走らんにぇぐなっからエンジン切れ」ということばで、エンジンを切ったので少しガソリンの節約になったのは幸運であった(二人ともエンジンを切っても寒くは無いほどの防寒の服装であった)。
車の中で妻の安否を確認しようとするが、もう既に携帯は使用不能になっていたが、直ぐに妻が帰宅して無事が確認できた。
余震が絶え間なく続く中、もっと高齢の両親がいる妻は実家にそのまま様子を見に行くと出かけて行った。
その間に棚から落下し、ひどい参上になっている家の中を片付けた。
いつの間にか停電になり、すぐに停電用の為にしっかり手入れをしてしまっておいたストーブを引っ張り出した。
灯油をいれ、夜はこのストーブの暖だけが頼りでした。
煮炊きはLPガスなので問題ないが、絶え間なく来る強い余震の中、「さすけね(大丈夫)、自動消化すっから」とわたしが言ったが料理をする妻はビクビクだった。
その日はラジオを聴きながら早く寝たのだった。しかし一晩中2分から5分くらいしか間をおかず強い余震が絶え間なく続き一睡もできなく、朝を迎えたのでした。
続く>
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コメント
正夢とは・・・
ひかり電話・ネットが使えるようになりましたか?
投稿: もうぞう | 2011年3月14日 (月曜日) 11:43
もうぞうさんへ
やっと使えるようになりました。
光回線と光電話は非常に災害に弱いことが判明しました
投稿: 玉井人ひろた | 2011年3月14日 (月曜日) 13:07
光電話とネットが使えるようになったんですね。
良かった♪
そうですか、光の関係は災害に弱いですか。ハンマーで叩いてステイプルなどで止めることが出来ない光ケーブルもろさを考えれば、当然なのでしょうね。
三陸沖のプレート型の大きな地震が起きると、東南海地震も近いといわれています。私の地域も人事ではないと思っています。
まだまだ大きな余震が起こる可能性が高いようです。くれぐれも気をつけてください。
投稿: セット | 2011年3月14日 (月曜日) 13:32
セットさんへ
たぶんほとんどの人々が「あれより大きい地震は来ない」と思っている現在が、大きな余震が起きたなら危険なのかもしれません
投稿: 玉井人ひろた | 2011年3月14日 (月曜日) 14:26