死語の意義、少数民族の誇り
「死語」とは、「古く使用され、現在話し手が無くなってしまった言語(民族語)。言語名や文献は残って文字言語として習得されているが母語(日本語、フランス語、英語など)として話す者が無くなった言語」を言います。
具体的にはヒッタイト語、古典ラテン語、古典ギリシャ語、などです。
過去にハワイ語がアメリカの英語化教育によって死語になりかけたのですが、偶然日本国内でフラダンス愛好家たちがその言語を使用していたのをハワイの人たちが逆輸入と言う形で伝えられ死語の危機を免れたことがありました。
今現在、その死語の危機にある言語があるというのです。
戦前生まれの方には聞きなれた国名に「満州国」というのがありますね
現在は中国の黒竜江省~内モンゴル自治区の範囲に当たりますが、そこに住む満州族は1000万人余りにもなるそうですが、その少数民族・満州族の言語である「満州語」が消滅の危機にあるんだそうです。
これは中国政府の同化政策によって共通語の中国語(漢民族語)の教育が進んでいるせいだそうです。
もうすでに、黒竜江省に住む一部のそれもかなり高齢者じゃないと満州語は旨くしゃべれない状態で、死語に進んでいるらしいです。
日本はかつて朝鮮族に同じようなことをしアイヌ民族にかんしては年号が平成になるまでその言語や民族の人権を認めないという弾圧で悲しく嫌な思いをさせました (平成9年(1997)5月にアイヌ民族への差別法「北海道旧土人保護法」が撤廃された、ただし「先住民族」とは認められたのはさらに11年後の平成20年(2008)になった)
母語の使用を禁止するということは「民族固有文化の否定」にも当たります。「死語」とはそれだけ壮大な損失にもなります。
しかし、国の政策や方針を伝えるには共通の言語と文字が不可欠ですし、難しいことでもあるんですよね。
日本人は最近簡単に「死語」を使っていますが、全く誤った使い方であることを知ってほしいものです。
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コメント
本来はそうなんでしょうけど、「死語」を気軽に使っていますね。
「廃語」と言った方が良いのでしょうけど、この先どうなっていきますか?
投稿: もうぞう | 2011年9月 3日 (土曜日) 19:57
言語=文化ですから,悲しいことです。
人類史を1万年と考えると,幾多の言語が変化し死語となっていったか。
全ての物事は変化し消えていくものですから,仕方のないことだと覚ることはできます。
でも悲しいことです。少なくとも人の手で消してはいけないと思います。
福島県民も避難を余儀なくされ,何世代も経てば方言も薄れ消えて行くことに。
五十歳に近づき,実家に帰り郡山弁を話すようにしていますが,0311以来つくづく思い知らされます。
投稿: ケンヂ | 2011年9月 3日 (土曜日) 21:36
もうぞうさんへ
「廃語」という言い方もいいですね。広辞苑だとこれも死語と同意と出てきますね

ケンヂさんへ
テレビという器械は一部の地域方言や習慣を流行らせることも有りますが、消していくことが多いようです。
投稿: 玉井人ひろた | 2011年9月 3日 (土曜日) 22:14
個々を尊重しないやり方が、あらゆる場面で弊害を招いていますけど言葉もそうなんですね(-"-;)ある意味、多数決の横暴或は全体主義の恐怖を感じます。
お米の一粒一粒が生きていて初めて美味しいご飯になるように、個々の人格、感性、歴史が生かされて初めて豊かな実りある文化なのだと思います。それらを殺してしまった歴史を振り返ってみると必ず強者の驕りや全体主義、そして戦争がありますね?
投稿: 空 | 2011年9月 4日 (日曜日) 06:35
空さんへ
「お米の一粒一粒が生きていて初めて美味しいご飯になる」
いや~、良い例えですねえ
投稿: 玉井人ひろた | 2011年9月 4日 (日曜日) 07:47
死語かぁ…ナゥいね〜とか、死語って言ってたけどそーゆー事とは違うんだよね。流行り言葉の移り変わりの早さったら無いけど、そろそろラブ注入♪て言う楽しんごのあのフレーズは死語か?
投稿: くぽ | 2011年9月 4日 (日曜日) 17:22
くぽさんへ
廃れた流行語、やっぱり「廃語」のほうがしっくりきますね
投稿: 玉井人ひろた | 2011年9月 4日 (日曜日) 17:37
流行語が忘れられていくとか、使っている言葉が変わっていくということと「死語」はまるで違うとおもいます。民族独自の存在が影薄くなっていくとき言葉も死ぬと思います。残酷ですが、当然生存競争の力関係でしょう。先日旅で通ったバスク地方も独自の言葉を失っていってるそうです。でも、道路標識は2言語で表示されていて、守ろうという民族意識が強いということでした。はるかに古い言語なんだそうです。
投稿: 山口ももり | 2011年9月 7日 (水曜日) 10:23
山口ももりさんへ
違う言語でも100%同じ意味を伝えることができるものが有れば、良いとも言えますがそういうのは無い気がしますよね。
標準語と方言もそうですが、どこかが違うんですよね
投稿: 玉井人ひろた | 2011年9月 7日 (水曜日) 12:56