清水の舞台から飛び降りたら・・助かるのか?
【清水の舞台から飛び下りる】
意味=思い切った決断を下すこと。必死の覚悟で行うこと。(広辞苑より)
よく知られたことわざの一つですよね。京都の清水寺にある迫り出した舞台は、最も高いところで13メートル、これはビルの4階の高さに相当します。
ですから、ここから飛び降りようとすることは“自殺”と言っていいでしょう。
しかし、上記のようなことわざがあるということは「飛び降りた人が実在したのではないか?またはそうしようとした人が居たのかもしれないのではないか?」」と、考えたくなりますよね。
私がそう思うくらいですから、当の清水寺で関心が無いわけがなく「現実にはどうだったのか?」と調査をしたそうです。
すると、清水寺塔頭の成就院が記録した文書「成就院日記」から、飛び降り事件に関する記述を発見したんだそうです。
記録は江戸前期の元禄七年(1694)から、幕末であの有名な「池田屋事件」が起こった文久三年・元治元年(1864)までの、間に記録が抜けている分も含めると148年分の記述が残っていたそうです。
この記録調査により判ったことを記載してみましょう。
<飛び降りた人数>
- 記録が残っている飛び降り事件は未遂も含め234件が発生。年間平均では1.6件。
※、このことから記録の無い時期も同じ発生率だとすれば江戸時代全体では424件あったと推定される。
<生存率>
- 飛び降り後、234件中85.4%が助かっている(約200名)
- 10代~20代に限れば90%が助かっている
- 60歳以上では6人全員が死亡
<年代、性別、出身地>
- 男女比は7対3、最年少は12歳、最年長は80歳代
- 年齢別では10代~20代が約70%以上を占めた。。
- 飛び降りを行ったのは地元の京都の人が最も多いが、東は現在の福島県や新潟県、西は山口県や愛媛県にまで及んでいた。
<地元からの嘆願>
- 相次ぐ飛び降り事件に耐えかね。清水寺門前町の人らが、舞台にさくを設けるなど対策を成就院に嘆願したという記録も残る
- 明治五年(1872)に明治政府が「飛び降り禁止令」を出すまで、飛び下りようとする者はいたらしい。
<飛び降りた理由>
江戸時代に庶民の間で観音信仰が広まり、清水寺の本尊「千手観世音菩薩に命を託し、“飛び降りて助かれば願いがかなう”、“死んでも成仏できる”という考えが流行しこの事件が続いたのだろうと推測される。
上記のような調査結果が出たようです。
考えてみれば清水の舞台は急な斜面に作られていますから、うまく着地できれば大けがにはなりますが命だけは助かる可能性は“理論上”は有ります。
有りますが、やらないですよ。
昔の人の、思いつめた信念、大願成就への執着、というのは凄まじいものがあったんですねえ。
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コメント
当時は高い建物が少なかったからでしょうか?
また下がコンクリなどで硬かったら、死亡率が高くなるのでしょうけどね~
投稿: もうぞう | 2012年8月29日 19:20
もうぞうさんへ
当時は樹木も大木じゃなかったか生えていなかったかもしれませんから、そのせいもあったかもしれません
投稿: 玉井人ひろた | 2012年8月30日 08:24