「いただきます」の考察・・後編
「いただきます」とは、どういう思いの言葉か?と、聞かれれば「知っている」という人はこう答えることでしょう。
ものを食べると言うことは、自分以外の動植物の命を‘いただく’ということである。
他の命をいただき自分の命にすることで我々は生かされていることを感謝して言う食前の挨拶言葉である。
これが「いただきます」の言葉を発する理由として、今ではよく知られている事柄です。
この考えが広まったのはたぶんタレントの「永 六輔さん」が自分がやっているラジオの長寿番組「永六輔の誰かとどこかで」などで語ったことで広まったように思えます。
永六輔さんと言えばご実家が「浄土真宗」のお寺であり、父親はその住職であったことは、知る人ぞ知るですね。
それ故に、永さんの考えは仏教の教義に基づいていることは確かですし、実際ににもそれに近いものになっています。
ただ、仏教の考えはもう少し違った意味合いになっています。かなり難しい言葉が多いのですが、仏教において食するという行為には次のような作法と教えが有ります。
食事は、まず「三宝」=「お釈迦様」と「御釈迦様が説いた経典」と「悟りに達した高僧達」への献上から始まり、次に「四恩」に感謝する。
四恩の四つの恩とは、「父母の恩」、「生きとし生けるすべての恩(衆生の恩)」、「天地(国王)の恩」、「三宝の恩」のことである。
自分がこの世の中に存在するのは父母から命を授かったのおかげであることを感謝する。そして、その授かった我が命のために食材としていただいた命すべてが成仏することを祈る。(「皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう)」=皆ともに仏道が成就することを願)
つまり仏教ではまず食事での感謝はお釈迦様へに対してで、それから今自分が食事ができる幸せな環境であることへの感謝になります。
そもそも出家した僧侶は食事の際に「いただきます」という言葉は発せず、食前言葉として短いお経を唱えるようです。
これは、キリスト教やイスラム教、日本の仏教に影響を与えた儒教にも同じように出てきます。
そして最後に、食材になった命全てが仏の道へ進むこと=成仏することを祈るということになります。
この最後の部分だけをとって「食事=命をいただく」ということが「いただきます」の意味として独り歩きした気がします。
どちらかと言うとこの考え方は、この世の生きとし生けるものすべての命を神として崇拝する信仰ですから、この世に存在するものにはすべて神が宿るという考え方で共通するアイヌ民族の信仰、アメリカインディアンの信仰、朝鮮半島の道教、そして神道に近い考えです。
そう考えると「いただきます」という言葉は「食材を作った人・運んだ人・調理した人」、つまり食事に関わった目の前にいる人を飛び越えて、食材に向かって言っていることになり、食事を準備した人を蔑ろにしているように思えてきませんか?
<「いただきます」の雑学その1>で紹介した昔の武士が言っていたように「馳走になる」と言うことのほうが、食事を準備した人へのお礼と感謝を先に言っているので、わたしとしてはそのほうが作法として自然な流れに思えてしまうんです。
食前言葉が「いただきます」ならば、食後の言葉は「いただきました」にならず、なぜ「ご馳走様」に変化するのか?
その辺を考えると何が本当なのか見えそうじゃないでしょうか?
これはあくまでも私個人の考えですから、他の意見を否定する考えは有りません。
賛否は有りましょうが、食前の雑学はここまでになります。(長かった~)
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コメント
いや~お見事!
論文にして発表した方が良いと思いますよ。
投稿: もうぞう | 2012年9月26日 19:19
もうぞうさんへ
このテーマは長くなるので、何か月も前からブログにするのをためらっていたんです。
やっと、アップできました。
投稿: 玉井人ひろた | 2012年9月26日 19:27
“いただきます”にこれほどの深い意味があることなど考えずに三度の飯をいただいていました。「いただきます=ごちそうになります」だと思っていましたから小さなころから違和感なく使っていました。でもいったい誰に向かって“いただきます”といっていたんでしょうね。自分ではよそのお宅などでご馳走になるときは、そのお宅に方々にたいして言っていたつもりでしたし、自分の家では親たちに向かって言っていたつもりですから、直接食事を与えてくれた方々に対して言っていたことになります。神に感謝して食べるなんていうのは、映画やドラマなどの中で見たキリスト教だけだと思っていました。
これからは“食事にかかわって下さった全ての方々”そして“自分が食べることになる動植物の命”に対しての感謝として「いただきます」を言おうと思います。大作ご苦労様でした。
投稿: koji | 2012年9月27日 02:06
kojiさんへ
これに関しては数年前、葬儀に参列した際に住職が言ったこと「葬儀に献杯など聞いたことが無い間違っている。日本には‘いただきます’という言い言葉が昔からある」との内容に私なりに疑問を持ったことに始まります。
結果として、その後住職には悪いですがだい違っていることが判ってしまいました
投稿: 玉井人ひろた | 2012年9月27日 08:41
ア・ア・ア・・・牛様 豚様 お命有り難く戴きます。お野菜様、お果物様 お豆様・・・・私はこういう風に云いましょう。作ってくれた人 主婦としては、私に云ってもらったと解釈することにします。そして美味しくたべられることにも感謝です。
投稿: 山口ももり | 2012年9月27日 10:12
小さい頃は、ただ単に「今から食べますよ」という意味で言ってたような気がします。物心ついてから「いろいろな事に感謝」する意味を込めるようになりました。
玉井人様の「論文」は見事ですね。敬服します。
投稿: 鹿児島かっちゃん | 2012年9月27日 11:07
山口ももりさんへ
そのように考えられたら良いと思います
鹿児島かっちゃんへ
そちらでは幼いころにすでに言っていたんですね。我が家では無かったです。
投稿: 玉井人ひろた | 2012年9月27日 11:42