「祭り」は‘夏’を指す季語になる
俳句も川柳も「5・7・5」の合計17文字で表す、世界一短い詩ですが、その違いは簡単に言えば春夏秋冬を意味示す「季語」が有るのが「俳句」、季語が無い(入れなくてもかまわない)のが「川柳」という違いです。
さて、私の住む近在地域では10月になると「二本松提灯まつり(二本松市)」、「玉井神社祭礼(大玉村)」、「安達太良神社祭礼(本宮市)」が連続しますので、祭りと言えばどうしても「秋祭り」が多く盛大ですから、季節的には「秋」というイメージが強いものです。
他の値域でも、春まつり、夏祭り、はたまた冬の祭りも有ったりしますので季節のイメージはそれぞれかもしれません。
ところが俳句では、「祭り」は「夏の季語」になっています。四季に渡って祭りが有るのに「祭り=夏」という限定になっていること、これはとても不思議ですよね。
その理由はこうです↓
今の様な華やかな祭りというのは、昔は一般庶民は行っておらず朝廷の貴族の行事だったのです
その中でも5月15日に行われる賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社の祭礼、つまり「葵祭」がもっとも盛大であり、かつ国家行事でもあったため、この時代「祭り」と言えば全国で唯一「葵祭」だけを指していたんだそうです。
旧暦の5月は皐月(さつき)と称し、現在の新暦では6月~7月のことで梅雨時ですから季節的には夏になります。
そこで、「祭り=葵祭=夏」という風に限定され夏の季語になったそうです
‘京‘、つまり京都が首都であった名残が俳句の季語に現れている証しです。
それはあたかも‘京都府=京の都’、そして風雅が俳句の中にあるようで、イメージが‘放射能’という福島県人には羨ましい限りです。
そして、なぜかこんな歌が頭に浮かびました。私の大好きな歌の一つです。
♪ 春夏秋冬 ♪(泉谷しげる)
季節のない街に生まれ、風のない丘に育ち
夢のない家を出て、愛のない人にあう
人のためによかれと思い、西から東へかけずりまわる
やっとみつけたやさしさは、いとも たやすく しなびた
春をながめる余裕もなく、夏をのりきる力もなく
秋の枯葉に身をつつみ、冬に骨身をさらけ出す
今日ですべてが終わるさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる
今日ですべてが始まるさ季節のない街に生まれ、風のない丘に育ち
夢のない家を出て、愛のない人にあうとなりを横目でのぞき、自分の道をたしかめる
また ひとつずるくなった、当分てれ笑いがつづく今日ですべてが終わるさ。今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる。今日ですべてが始まるさ今日ですべてが終わるさ。今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる。今日ですべてが始まるさ ♫
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コメント
祭りと言えば葵祭を指す。
このような例は、何か他にもありましたよね。思い出せませんけど。
投稿: もうぞう | 2012年10月18日 19:18
もうぞうさんへ
言われれば、あったような・・ないような・・・
投稿: 玉井人ひろた | 2012年10月18日 19:29