大河ドラマ「八重の桜」の‘何これ?’
現在放送中のNHK大河ドラマ「八重の桜」のサブタイトル「会津のジャンヌダルク」と言うのを聞いたときに、「なんだそれ?」と、思いました。
会津戦争(戊辰戦争)の時に、女性ながら断髪し男装して果敢に戦ったからだというのがその理由だということですが、私にとっては初耳でありました。
ジャンヌダルクと言えば、フランス軍の先頭に立って戦った美少女ですよね。
それだったら、断髪はかま姿に二本差しの男装姿の婦女子だけの部隊「婦女隊(後世に付けられたもので当時の呼称は無い)」を組織し、会津若松城下の戦闘前線にて奮闘し、敵弾に撃たれ享年18歳という若さで世をさることになる、同じくNHK大河ドラマの八重のライバルとしても登場する「中野竹子」こそが、まさにジャンヌダルクです。
中野竹子の辞世の句
「武士(もののふ)の 猛きこころにくらぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも」
中野竹子女子は、会津城下で一番と言われるほどの美人でも知られ、八重役の綾瀬はるかさんに非常に近い顔立ちの美人ですし、どうも人物が錯綜しているようで気になります。
錯綜と誤解と言えば「八重」を紹介するサイトに「日本のナイチンゲール」という言葉を使ったものが有りますが、これは完全な間違いでしょう。
八重は明治の時代になって以降に起こった、日清・日露戦争において、戦場に女性が行くことはご法度だった時代に仲間の女性たちと共に「弱者はいたわらなければならぬ」の会津の教えを守り篤志看護婦として名乗りを上げ、大陸に渡って果敢に行動し負傷兵の手当てや看護をしたことが、評価され皇族以外の女性で初の宝冠章を受けることになったのは事実です。
しかし、日本のナイチンゲールとして日本の女性初の「藍綬褒章」を受けているのは現在の福島県喜多方市の「瓜生 岩(うりゅう いわ)」という女性です。
瓜生岩は会津の喜多方の人で、会津が戦場になった時に敵である西軍(薩長など。会津では官軍といわず西軍という)、味方である東軍(会津武士と反薩長派。東軍という)、その敵味方を区別せず私財をなげうって戦傷者を救い手当てした人物です。
さらに、戦争孤児の収容施設や制度を作ったり、女性が働けるように職業訓練所の様なものも作った偉大なる人物です。
野口英世の母で知られる「野口シカ」さんは、瓜生さんによって助産婦の資格を会得しています。
八重と言えば同志社大学ですが、そこを創設したのではないです。
大学を創設したことで知られるのは同じ会津藩士の娘であった「大山捨松」です。
大山捨松は女性初のアメリカ留学をした中の一人で、アメリカで看護婦免状を取得し、帰国後は大山陸軍大将と結婚し、同じくアメリカ留学をした津田梅子を資金面で助け日本初の女学校「津田女子英学塾(現在の「津田塾」)」を創立することに貢献した人物です。
八重は、その時代としては非常に進んだヨーロッパ的な考えと行動力の持ち主だったことは事実ですが、同じころに活躍した会津の女性と混同されたドラマ作りがなされている気がします。
このドラマは「東北復興」の意味合いが有るそうですが、戊辰戦争では「悪者=西日本」となるため関西や西日本では視聴率も低いそうですし、復興にはそぐわない気がします
そして、一番気になるのは綾瀬はるかさんの“へんてこな会津弁”です。どうしても耳障りです
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コメント
先ごろはお身内のお弔いご苦労様でした。
わたしは八重のことさえNHKの大河ドラマになるということからはじめて分かったような始末で、“玉井人ひろたさん”の今回のエントリーは大変勉強になりました。綾瀬はるかさんの“へんてこな会津弁”は『鶴瓶の家族に乾杯』のゲストとして会津の街中を巡った番組の中で聞きました。
投稿: koji | 2013年2月17日 06:26
kojiさんへ
ありがとうございます。
今回のドラマに限らず、私の場合元々大河ドラマを視ないのですが、今回は妻の実家では義母が好きで見ているので一緒に見てしまいました。
でも、その劇中の言葉が気になって肩が凝ってしまいました
投稿: 玉井人ひろた | 2013年2月17日 21:14
とても面白く拝読しました。綾瀬さんの会津弁はヘンテコリンなんですか???私は何も知らず楽しんで聞いていました。春になったらゆっくり会津へ行きたいとゾッコです。全くTVの関西弁だって、聞くたびに不愉快になるようなアクセントが多いですから、地元の方はイヤなんでしょうねえ。山川捨松さんこそは、TVで取りあげてドラマ化してほしい人ですねえ。
投稿: 山口ももり | 2013年2月21日 10:29
山口ももりさんへ
アメリカ留学、そして敵であった薩摩藩士との結婚、捨松さんの人生こそ波乱万丈奇想天外です
投稿: 玉井人ひろた | 2013年2月21日 16:50