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2013年8月22日 (木曜日)

愚痴とは煩悩

仏教では、貪欲(とんよく)、瞋恚(しんい)とともに、人間の善心を害する三つの煩悩(ぼんのう=三毒)の一つで無知で仏法の道理をわきまえないこと。おろかなことを「愚痴ぐち)」という言葉で言い表します。

つまり愚痴とは、本来は自分自身の考え方の愚かさや過ちを指し、自分自身に当てていう言葉だったのです。

ところが、人はそれを他人の行動や考え方に対して指す言葉にしてしまったわけです。これも人間らしいと言えば、人間らしい行動ですよね。

京都で仏教を学ぶ学生グループが街中を歩く人たちから愚痴を聞き、吐き出してもらうことで気持ちを楽にしてもらうという活動を昨年の10月からJR京都駅前の路上で行っているそうです。
学生たちによると「愚痴を聞くのは僧侶の役割でもあるが、最近は僧侶と接する機会のない人が増えている。そのため、ためこんだ愚痴を気軽にこぼせる場をつくろう」と思いついたそうです。

学生らは人生経験が乏しい若いメンバーばかりのため、アドバイスはしないと決めて聞き役に徹しているそうですが、それでも話した人々は気持ちが楽になったと言ってくれるそうです。

現代人は、気楽に話せる場所や人が居ないことの証しでもありますよね。そういう私も、あまり変わらないかもしれません。だからブログを書いているんでしょうね

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コメント

祖母から聞いた話、そして祖母は曾祖母から聞いた話、「(愚痴を)こぼす人がいたら、拾ってやんなくちゃなんねぇ!」
… ただし、決して他言無用で…と言うのが、以来、我が家の家訓みたいなものです(*^_^*)

投稿: | 2013年8月22日 (木曜日) 22:09

愚痴をこぼす(言う)方は、すっきりして良いのでしょうが、聞く方はね~
わたしも時々ブログで愚痴ってますが、読む方はどう思っているのでしょうね~

投稿: もうぞう | 2013年8月23日 (金曜日) 06:58

空さんへ

その人が愚痴をこぼすのは、他に知られる可能性が低い人だろうと判断して言うのでしょうから、その家訓は素晴らしいと思いますし、道理でしょうね
 
 
もうぞうさんへ

ブログの場合、不特定多数に閲覧されますから「同じ思いの人が居る」とみてくれる人が一人でもいたらよいと思ったほうが気楽でしょうね

投稿: 玉井人ひろた | 2013年8月23日 (金曜日) 10:06

私もいつも愚痴の聞き役をさせられていました。「聞いてくれるだけでええの」でも、ある時、堪忍袋の緒がきれました。聞くだけで何にも力になれないし、第一、言う方は誇張して同情を集めようとする。聞いたほうは心配し続けていて、あとで「それでどないしてんねん???}って聞いたら「あ・もうそんなことなんともない!!!」とかね。言う方は刻々状況が変わるのに聞く方は最悪の時ばかり続いていると心配しつづけてる。「もう、聞きたくない!!!」って叫んでしまいました。悪いことなんでしょうか???

投稿: 山口ももり | 2013年8月23日 (金曜日) 11:16

山口ももりさんへ

悪いことじゃないと思います。
ちゃんと言わないと、どんどん言われるばかりになってストレスが溜まってしまいますからね。

投稿: 玉井人ひろた | 2013年8月23日 (金曜日) 11:52

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