日光の‘お大師様’は弘法大師ではない
毎年、福島県の会津美里町では「天海さんまつり」というのが盛大に開催されます。今年も‘天海大僧正ウィークの9月29日(日)~10月6日(日)にそれは行われました。
天海大僧正と言えば、上野の東叡山寛永寺を建立し、歴代将軍の相談役・師的存在だったた高僧としても知られる人物で、そしてなによりあの日光東照宮を創建し、亡き徳川家康に「東照権現」という名を授け祀った人物としても知られます。ただし、あまりにも武家(幕府)側に肩入れしたため、本山の延暦寺からは疎まれてもいました。
同上人は徳川家康の側近として、江戸幕府260年間の天下泰平の礎を築き、南光坊天海、智楽院とも呼ばれ、諡号は慈眼大師を賜った天台宗の僧で、現在は日光山輪王寺の「慈眼堂(じげんどう)」に葬られています。
ですから、日光で「お大師様」といえば「天海上人」の号‘慈眼大師’様と「良源上人」の号‘慈恵大師’=元山大師様の、共に天台宗の両大師のことを指していますので、訪れた際はお間違いのないように。
そのような高僧のお祭りを「なぜ、福島県の会津の町で行われているのか?」不思議でしょうね。
実は、日光東照宮を送検したときに天海上人についての記録が残され、そこに天海大僧正は、現在の会津美里町高田で生まれであることが記載されていたからです。
ただ、近頃では天海は処刑されたはずの豊臣家の重心「石田三成」ではないかという異説と日光東照宮に数多くの関連性が見いだされています。
その信ぴょう性は不明ですが、天海上人が107歳まで長生きしたことを考えると“途中から石田三成に替わった”とも考えたくなります。
天海上人は実に謎多き人物であるがゆえに、語り継がれているのかもしれません。
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コメント
天海って「黒衣の宰相」とよばれなかったか???あ・れ・れ・・・金地院崇傳・・・とか言ったか・・・調べなくてすみません。なんだか聞き覚えのある名前です。しばらくブログお休みします。
投稿: 山口ももり | 2013年10月 8日 (火曜日) 07:21
なるほど
天海上人=石田三成 説は源義経=ジンギスカン 説のようなものですかねえ?
確かに家康の時代にももりんさんがおっしゃるような怪僧と言われた御仁が居たように私も記憶しているのですが?
投稿: 空 | 2013年10月 8日 (火曜日) 09:13
山口ももりさんへ
「金地院‘崇傳’」(臨済宗)は天海大僧正(天台宗)より年上の僧ですね。

「崇傳上人」は「黒衣の宰相」と呼ばれていましたが、天海大僧正もやはり幕府寄りだったので「黒衣の宰相」と、同じく呼ばれています。
空さんへ
怪僧というより、本山の仕事より政治、つまり直接国の運営に携わった仏教の教えを実行した現実主義者といったほうが合っていると思います
投稿: 玉井人ひろた | 2013年10月 8日 (火曜日) 11:05
さしずめ、平清盛の時代に生きた、あれ?何と言う人でしたっけ?阿部サダヲさんの印象の方が強くて(^_^;)
投稿: 空 | 2013年10月 8日 (火曜日) 11:46
空さんへ
俗名=信西、法名は「円空」ですよね
投稿: 玉井人ひろた | 2013年10月 8日 (火曜日) 16:45